カテゴリ:詩集「思い出せない日の翌日」( 26 )


 昨日(H27年 8月25日)、毎日新聞夕刊の「詩の遠景近景」で、城戸朱理氏が、拙詩集『思い出せない日の翌日』について触れてくれた。ありがたいことだ。

  (抜粋)

  南原充士『思い出せない日の翌日』は、夢と現実、記憶と現在が侵犯する世界をのぞかせる。
 「近所の子供たちが話している言葉がわからない/(中略)/なにかがおかしいのか聴力とか脳波
 とか体調とか/(中略)/日本語によりそった一日を過ごして帰宅する/公園で遊んでいる子供
 たちの姿はいつも通りだ/家族に今朝の奇妙な経験を告げようとして/自分の言葉が理解でき
 なくなっていることに気が付く」
  平明でありながら、言葉や母語についてラディカルな問いを突きつける。



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by nambara14 | 2015-08-26 12:48 | 詩集「思い出せない日の翌日」 | Comments(0)


 
 拙詩集「思い出せない日の翌日」について、岩田友哉さんがそのブログ『詩文楽』において、詳細に論じてくださいました。→『詩文楽』





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by nambara14 | 2015-04-30 14:57 | 詩集「思い出せない日の翌日」 | Comments(0)

詩への勧誘



        詩へのお誘い


 詩を読む習慣を持っているひとは少ないと思う。
 特に現代詩と呼ばれるものは敬遠されがちだ。
 おそらく一見奇妙奇天烈な言葉の使い方やイメージに抵抗を感じるからだろう。
 よくわからないしなにがよいのか全然わからないと思う人も多いようだ。
 だが、人間はそもそもわかりやすい存在だろうか?
 喜びありり悲しみありの変化に富んだ人生。
 人の一生ははかないものだ。昨日まで元気だったひとが事故でなくなったり、訃報が届いたりする。
 つまらぬことで喧嘩をしたり憎しみあったりする。
 貴重な時間をどうやって有効に過ごして良いかわからないまま最期を迎えたりする。
 絶望している時に意外な人から優しい言葉をかけられることもある。
 人生捨てたもんじゃないと感じる。
 ふしぎな人間というもの、時空というもの、宇宙というもの。
 複雑怪奇で戸惑いに満ちた世の中。ひとびと。世界。紛争や殺戮、災害や気候変動や疫病や貧困や飢餓。
毎日がはらはらどきどきの連続だ。

 そういうめまぐるしい毎日を生きるなかで、ふと自分を見つめ、自分のまわりを観察することがある。 そのときひとはいいようのない感情に心が震え、なにかを感じて、恐ろしくなる。
 矛盾に満ちた人間や世界の中で卒倒しそうになる。
 そのとき、静かに自分を見つめさせてくれるものがある。
 それが芸術であり、言葉で言えば詩や小説である。あるいは、音楽や美術や映画や演劇などである。

 詩は、人間を深く見つめてぎりぎりの現実を言葉で描き出す。
 喜怒哀楽を、高度な言葉の技術でとことん表現する。
 詩を読むことは人間の精神性の奥深さに触れることだ。
 詩は問いかけるだけで答えを示すことはない。しかし、人間存在の根底を見据えた問いかけをする。
 生老病死をリアルに描き出す。偏見のない目でひとはひとに出会うのである。
 なんのために生まれて生きて死ぬのかよくわからない人間の生と向かい合うことが詩である。
 詩は人間そのものである。
 詩を読むことは生きることであり、また、死ぬことでもある。

 是非たまには詩集をひもといていただきたい。
 わたし(南原充士)の詩集も読んでいただきたい。
 GWはいいチャンスだと思いますよ!

 
 

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by nambara14 | 2015-04-30 11:44 | 詩集「思い出せない日の翌日」 | Comments(0)


 昨日、水仁舎の北見俊一さんより、詩集「思い出せない日の翌日」の特装本をいただいた。
 あまりのすばらしさに感激した。
 水仁舎のブログに写真が紹介されているので、ご覧下さい。!→本造りの水仁舎




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by nambara14 | 2015-04-19 17:11 | 詩集「思い出せない日の翌日」 | Comments(0)


 詩集「思い出せない日の翌日」について、いろいろお話してきましたが、この詩集を読んでみたいと思われた方がいらっしゃったら、是非わたしあてにお気軽にお問い合わせをお願いします。

 なお、定価は1600円+税128円+送料でお分けしております。


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by nambara14 | 2015-04-17 10:50 | 詩集「思い出せない日の翌日」 | Comments(0)


     詩集「思い出せない日の翌日」について

 自分としては、さまざまなスタイルの詩集を洪水企画より刊行したので、一区切りという趣旨もあって、洪水企画の仕事ぶりは大いに評価しつつも、その次の詩集はほかの出版社に依頼しようと思っていたら、ふと身近に水仁舎の北見俊一氏という絶好の人物がいることに気付いた。

 「09の会」という詩の合評会で1,2か月に一度は顔を合わせる仲であるし、年二回発行の詩誌「repure(ルピュール)」の編集発行者でもあるということで、頼みやすいということもあり、また、詩誌「repure」の造本技術には感動していたので、話をしたところ、快諾してくれたのだった。

 詩集「思い出せない日の翌日」に収めた詩篇は、すでに出版した他の詩集が比較的実験的な要素を持つとしたら、こちらはごく地味な日常の情景や思いを日記に近い感覚で書いたものだった。もちろん日記はそのままでは詩にはならないので、詩集にするに当たってはそれなりの工夫はしたつもりだったが、それでも自分のかなり本音に近い思いが漏れてしまったというような感じの詩集だった。

 詩集「思い出せない日の翌日」は、水仁舎の方針もあり、ISBN番号もとらず、Amazonなどの取り扱いもないということで、宣伝は自分次第という感じなので、わがブログで、このような「詩集つれづれ=問わず語り」というような文章を書いてみようかと思った次第である。

 今のところ、装幀の評判がとてもよいのだが、ついでに詩篇のほうもよい評判が得られたらうれしいと思っている。

 この詩集あるいはほかの詩集に少しでもご興味をお持ちの方がいらっしゃったら、お気軽に、わたし(南原充士)あてにお問い合わせください。

このページの下にある「Comments」をクリックしていただいて「コメントする」というタブが現れたらそこに、書き込んでくださってもよいですし、わたしあてにメールをお送りくださってもけっこうです。
 よろしくお願いします。
 
 









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by nambara14 | 2015-04-13 13:57 | 詩集「思い出せない日の翌日」 | Comments(0)


 最近、詩集「思い出せない日の翌日」にかかりきりだったので、今日は、気晴らしに四元康祐「詩人たちよ!」刊行記念ト-ク&リーディングを聴きに日本近代文学館に行ってきた。第一部、四元さん、野村喜和夫さん、柏木麻里さんによるトーク及び朗読、「KOHAKU」による歌。第二部、四元さんと谷川俊太郎さんとのトーク&リーディング。ウイットに富んだ「詩と時代」に係るトークは大いに楽しめた。

 四元さんとは、5,6年振りで会ったのだが、前より生き生きとしているように感じられた。毎朝詩を書いているというエネルギーに驚いた。と同時に、海外生活の長さが、日本や日本語を外から見る視点を与えていて、ユニークでユーモアに富んだ詩や小説やエッセイというかたちで結実しているのだと思った。
 トークも上手で、第一部はわりとまじめな感じで、第二部は当意即妙なジョークを交えて、聴衆を大いに楽しませてくれた。

 出不精のわたしとしては、久しぶりに、刺激を受けることができた。

 なお、第二部終了直後に、谷川俊太郎さんに、詩集「にげかすもきど」の帯文を書いてくださったことにお礼を述べることができたのは幸いだった。帯文を頂いた後およそ二年経ってやっと直接お会いしてお礼の言葉を述べることができて肩の荷が下りるような気がした。






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by nambara14 | 2015-04-11 18:38 | 詩集「思い出せない日の翌日」 | Comments(0)


 詩集「永遠の散歩者 A Permanent Stroller」は、日本語と英語が見開きの対照関係になっている詩集である。対訳と言うのが普通の言い方だと思うが、書いた本人の感覚からすると、一つの詩が英語と日本語とで融通無碍な感じで生まれてきたので、「対照」という言い方をした。
 
 大部分の詩は日本語が先にできたが、いくつかは英語が先にできた。
 英語にするということで短めの作品が多くなっているが、いろいろなスタイルの詩が一冊に収められているという意味では、最近のわたしには珍しい詩集である。
 
 英語は、若いころから親しんできたのでそれなりに理解力はあると思うが、外国人に通用するような英語になっているかと言えば、絶対的な自信はあるはずもなかったので、池田康編集人のすすめにしたがって、英文学者で歌人の大田美和さんに英語の監修をお願いした。真っ赤に手の入った原稿を見て驚いたが、真摯なやり取りの中で、両者納得づくで最終形がまとまったのだった。

 洪水企画の「詩人の遠征」シリーズのNo.5という位置づけで出版されたが、詩人本人が日本語と英語を同時に対照形式で詩集を編んだ例は我が国にはあまりないと思うので、国際化を目指す日本にとって文学面から一石を投じる意義はあると思っている。

 英語の詩が並んでいるということで、アレルギー反応を示す方もいないではないが、日本語だけを読んでいただいても結構なので、どうかあまり毛嫌いなさらずにお手に取っていただければ幸いである。






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by nambara14 | 2015-04-10 09:48 | 詩集「思い出せない日の翌日」 | Comments(0)


 詩集「にげかすもきど」は、言葉遊びの詩を集めた詩集である。
「にげかすもきど」は、日月火水目金土の「にち・げつ・か・すい・もく・きん・ど」の頭を取ってつけたものである。私の場合、言葉遊びの詩と言うのは意識して書けるものではなく、ひらめきが訪れてはじめて書けるものだと思う。そういう意味で、言葉遊びの詩というのは、書くのが難しく、神経を使って書く必要がある。お笑いと言うのは、人が笑ってなんぼのものだと思うが、笑わせるのは並大抵の技ではできない。

 自分にとって、もっとも尊敬する詩人は、谷川俊太郎さんである。ひらめきと言葉遣いの巧みさは天才的なものがある。いろいろなスタイルの詩を書かれているが、とりわけ言葉遊びにかけては、谷川さんに勝る詩人はいないと思う。
 そこで、詩集「にげかすもきど」を刊行するにあたって、思い切って、谷川さんに手紙を送って、帯文をお願いした。断られるかもしれないと思っていたら、谷川さんから、あっさりと帯文が送られてきて、自由に使ってよいと言ってくださった。有名な詩人だが、実に謙虚で親切なのにいたく感激して、ますますファンになってしまった。

 詩集「にげかすもきど」が刊行されてから、すぐに谷川さんにお礼をそえて詩集をお送りしたら、丁重な手紙にそえて、一冊の御著書をお送りくださった。 

 その後、洪水企画の池田さんは、雑誌「洪水」の企画で、谷川さんに仕事をお願いする機会があって、拙詩集について谷川さんに感想を求めたら、「よくできてるんじゃない」と答えてくれたと伝え聞いた。

 なお、詩集「にげかすもきど」の装幀については、知り合いの有望な若手グラフィックデザイナーの川田武志氏にお願いした。小さなおもちゃのようなキャラクターがたくさん並んで楽しげな絵柄は、詩集の内容とぴったりマッチしてとてもよい仕上がりだったと感謝している。

 編集の池田さんも、いつもと勝手がちがって苦労されたようだが、持ち前の頑張りで一味違った詩集を完成させてくれた。

 詩集「にげかすもきど」は、一見変な詩集だが、先入観なしに読んでくだされば、心から笑っていただけるものと信じています。








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by nambara14 | 2015-04-09 10:37 | 詩集「思い出せない日の翌日」 | Comments(0)


 詩集「ゴシップ・フェンス」は、虚構性や暗喩や観念性にこだわった詩篇を集めたものである。
 自分にとって洪水企画から出した4冊目の詩集である。

 ゴシップ・フェンスというタイトルは、愛読していたアメリカのマンガ「Snuffy Smith」に登場する、アメリカ南部の牧場のフェンスで、隣り合った牧場の奥さん同士がしょっちゅうそのフェンスにもたれてよもやま話をするということから、「ゴシップ・フェンス」と名付けられていたのを、借用したものである。日本でなら、さしずめ、井戸端会議といったところだろうか。ご興味のある方は、”snuffy smith comic”で検索すればすぐに画像をご覧いただけると思います。博打好きのの亭主が主人公で、南部なまりの英語がめずらしくもあります。

 詩集は、物語風の作品からはじまって、次第に奇妙な感覚にとらわれる種々の作品へと移っていく。
詩がしだいに書き手から離れて詩の女神の言うとおりに書かされて自立していくという珍しい経験をしたものである。それを自分では「絶対芸術」という言葉で形容した。

 そういう意味では、この詩集は、わたしの詩集の中ではもっともとっつきにくいものだろう。洪水企画の池田康氏も、編集段階で、「こんなにわかりにくい詩集でいいんだろうか?」というような反応を示したのを記憶している。わたしは、詩集「花開くGENE」での経験から、それ以後の詩集では、徹底的に自分の作品を吟味してこれ以外ではありえないという結論を得るまでは原稿を送らないと決意していたので、貴重なアドバイスには感謝しつつも、大きな変更は受け入れなかった。

 詩集「ゴシップ・フェンス」は一見難解に見えるかもしれない。だが、少し辛抱して読み進めてもらえれば、人間の生きることの奇妙な面白さがわかっていただけると信じている。

 

 





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by nambara14 | 2015-04-08 13:00 | 詩集「思い出せない日の翌日」 | Comments(0)