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カテゴリ:詩集・詩誌評等( 15 )

最近の詩集評(4)

星善博詩集「静かにふりつむ命のかげり」。死を正面から見据えた精神の強靭さ。死者、骨、柩、墓、葬列などの語彙がくりかえし使われる。宇宙、人類の歴史、命の受け渡しなど、長い時間軸の中に、個々人の短い生を浮かび上がらせる。死を見続けることでかえって生のはかなさとかけがえのなさがわかる。丁寧に選ばれた言葉は的確で読む者の心を打つ。

山田兼士詩集「羽曳野」。[羽曳野]、[安乗の遅刻]、[萩原朔太郎の詩碑]の三部構成。古代への想念に重なる家族との思い出、還暦を意識する自分の来し方、住まった土地、自分に影響を与えた人々、今は亡きひとびとへの追憶など、穏やかな言葉を通して浮かび上がってくる痛切な感情。芭蕉の句のアクロスティックな活用、朔太郎の詩の引用などさまざまな技巧の陰に、著者の人生の複雑な陰影と深い感慨が見えてくる。

吉田広行詩集「Chaos/遺作」。人間の生のはかなさを自覚するがゆえに愛おしさもひとしおなのだが、しっかりとつかまえようとしても世界はまぼろしのようにしか見えない。この世にはChaosと小さく渦巻く遺作のようなものだけがあって・・・。一瞬と永遠。静謐な知性と気品に満ちた抒情の漣。

近澤有孝詩集「指を焼く」。生まれて以来さまざまな病気に襲われるという試練にさらされ、死を強く意識しながらも、エロスによって生き延びうると感じる。それは、快楽である以上に、血と汗にまみれた切ない痛みや寂しさのようなものであり、運命に翻弄される自分に触れてくれる菩薩のようでもある。

水島英己詩集「小さなものの眠り」。湯殿川の散歩者が紡いだダンディな詩篇群。「今ここ」と「さまざまな時と場所」が重なって立体的な効果をもたらす。家族や友人知人さらには過去の文学者への思いがしみじみと語られる。とりわけ「マングローブの林」は、旅する二人の会話と島尾敏雄への敬愛が巧みに溶け合った傑作である。巧みな引用に満ちた落ち着いた文体は詩集全体に確かな陰影と品格を与えている。

倉田良成詩集「詩、耳袋」(山海物語集の内)。現代の神話作家が日本文学の深い造詣を駆使して作り上げた独特の語り口の奇談、怪談集。現代社会に感じる「魂の帳尻」の合わなさへの違和の作者なりの表現だという。豊富な学識に基づく引用と身近な体験を融合させたホラーは人間の生死をさまざまなエピソードによりすさまじくもユーモラスに描き出す。

田中健太郎詩集「犬釘」。日常も非日常も国内や海外での出来事も穏やかな筆致で描かれるが、仔細にみると、心の内は生のはかなさで揺れ動いていることがわかる。その認識が他者への思いやりや共感に通じるのだろう。時には過激になっても、暴発することはない。誠実に自分と向き合う姿勢が印象的だ。

峯澤典子詩集「ひかりの途上で」。きわめて繊細な感性がひかりを見るとき痛々しいほどの刺激を受ける。自分の存在ははかなくあやうくとらえどころがない。だが、子のために自分の乳房をしぼることで理屈を超えたいのちを実感する。すぐれて絵画的なタッチが精密に人間の光と影を浮かび上がらせる。

坂多瑩子詩集「ジャム 煮えよ」。四コママンガのような趣がある。何気ない情景で始まり、辛辣なあるいは残酷な展開があって、最後はブラックユーモアで終わるといった具合に。死者も生者も融通無礙な夢のような世界は、現実の重圧や不安を軽くしてくれる。「母その後」は、とりわけ切ない笑いを誘う。

日原正彦詩集「冬青空」。家庭、バス停、駅、公園、街、青空など日常のなにげない情景に潜むひとの命の厳しい現実。生まれ生き死ぬという定め。昨日今日明日を静かに見つめ続ける目。愛する妻の死の影にふるえる心が切ない通奏低音を奏でる。読者は胸がいっぱいになりもはや読み進めることができない。
by nambara14 | 2013-06-26 21:13 | 詩集・詩誌評等 | Comments(2)

最近の詩集評(3)

 

       最近の詩集評(3)


細田傳造詩集「谷間の百合」。韓国語がところどころに出てきたり、戦争、生と死、転生、快楽と形而上学といった重いテーマが取り上げられるが、じいと孫のかけるとのやりとりが極めて活き活きと描かれるので、緊迫した気持ちが緩みほっとした気持ちになれる。生きることの複雑な心情がたしかに伝わる。

「ドビュッシー・ソング・ブック」(山田兼士訳)。ボードレールやヴェルレーヌなどの詩にドビュッシーが曲をつけた63篇をとりあげ、フランス語の原詩と日本語訳を対比させた対訳歌曲詩集。やわらかな現代日本語訳が原詩の魅力を引き立たせる。この本を片手に歌曲を聴いてみたい気持ちにさせられる。本書は、類例を見ない画期的な構成と内容で、読者をドビュッシーの世界へと導いてくれる。

谷川俊太郎「写真」。52枚の写真と短文(エピグラムとかキャプションとかというみたいだが)が収められている。写真だけでも十分見ごたえがあるというか単純におもしろい視点や意図が感じられるが、自然体の短文が相乗効果をもたらし、写真集や詩集以上のインパクトを与える。詩が成立するためにはもちろん言葉の使い方が巧みでなければならないが、それとともに確かな観察眼が必要だということをあらためて感じさせられる。谷川俊太郎のカメラのファインダーを覗く目は並外れて鋭いが撮られた写真はみな楽しさでいっぱいだ。無理やり詩にしようとしない言葉も快い。

八覚正大詩集「学校のオゾン」。教職にある著者が学校での経験をもとに書いた詩篇を収めている。いわゆる問題児である生徒たちの教室でのようすや教師である著者とのやりとりがかなり忠実に再現されている。救いがない展開ばかりに見えるが、著者にとって学校や生徒との関係は是としてよいものと感じられているようだ。定年を迎える著者にとってそれらの経験は今後共思い起こしフォローしつづける重要な位置を占めることになりそうだという。

倉田良成詩集「わがオデッセー」。著者にとってひさしぶりの行分け詩集。十数年前から最近の作品までを収録。鮮烈な抒情性が印象的だ。「清明雨」は杜牧の引用が巧みだ。堀川正美に捧げる10篇は若々しさに満ちている。「水をさがして」5篇や「散歩」は日常の生活や心情がうかがえてしみじみとする。

木島章詩集「点描画」。モネの睡蓮の絵を間近に見て塗り残しがあるのに気づいたことがあるという。家族との暮らしのようすを見つめることから生まれた詩は言葉の点描画として細部が丁寧に描かれる。悲しい出来事も抑制の効いた穏やかな口調で語られる。詩はこれからも手さぐりで書き続けられるようだ。

大家正志詩集「翻訳」。文学、演劇、映画、音楽、美術など芸術はもちろん、政治経済から哲学、文化人類学、さらには宇宙や素粒子などの自然科学や新聞記事に至るまで幅広い教養を有する詩人が、日常生活という現実を基礎にして根源的な自問自答を繰り返す中から紡ぎ出された詩篇群。硬質な言葉との格闘の中にも抒情性が垣間見えるところが魅力だ。「すると窒素がちょっとはにかんだように/この世でいちばんたいせつなことを口にすることは勇気がいりますが/あいなんですよ」(「あッ」部分)。

たなかあきみつ詩集「イナシュヴェ」。前衛芸術、シュールレアリスム、モダニズム、立体派、現代音楽など、芸術のあらゆるジャンルにおける実験的な試みに鋭敏な五感を研ぎ澄まして対峙し、それらを自家薬籠中の物にしたうえで、言葉の錬金術師のように発した暗喩の連鎖は、めくるめく新鮮な驚嘆だ。

細田傳造詩集「ぴーたーらびっと」。死や病気や災害や戦争や性や差別など重苦しい題材が並ぶが、孫かけるとの会話によって息詰まる空気がメルヘンに変換されることで救いが生まれる。現実を見据える目は鋭いが表現される言葉は控えめだ。英語や韓国語が作品に奥行を与える。抑制の効いた詩が多い中で詩集の最後に置かれた作品「おかし」は、珍しく痛切な魂の叫びが率直に表されている。

宮地智子詩集「支度」。今は亡き父や母や義母との思い出がしずかに語られる。つらかった場面も今は懐かしく感じられるようだ。他方、アメリカ暮らしの娘家族を訪問する場面は現実にひそむ微妙な感情の動きが描かれる。母として祖母としての穏やかな水彩画のような筆致が人生への深い洞察を感じさせる。

山田兼士著「高階杞一論」。谷川俊太郎の後継者の登場が待たれる。その候補者の一人として、高階杞一を挙げる。12冊の詩集をすべて取り上げることにより高階の全体像が明確に浮かび上がる。同時に、山田の詩論の広がりと深さに感服する。詩と詩論が一体となって豊かな結実を示している名著である。

「高知詩集2013年」。高知新聞への投稿詩入選者59名によるアンソロジー。108篇の作品には選者の大家正志氏による選評が添えられている。作品と選評が並ぶことで、相乗効果を上げている。作品の内容が特に高知に関するわけではないが、真剣な書き手と読み手がいる地方の今後の可能性は大きい。

池田康詩集「ネワエワ紀」(洪水企画)。詩人の遠征シリーズ第一弾。囲いを破り約束を破り禁を破って詩人は遠征する。詩は詩さえ破ろうとする。不条理が詩の本質だ。それでいて妙に身近な都市生活者の気配を感じるのは、詩は人間くささから発するということを忘れていないからだろう。併録の「気聞日記」は日記から派生した気分の哲学書だ。
by nambara14 | 2013-01-20 10:14 | 詩集・詩誌評等 | Comments(0)

最近の詩集評(2)

 

             最近の詩集評(2)


倉田良成詩集「横浜エスキス」。エッセイ風の趣のある詩集。赤煉瓦倉庫、チャイナタウン、港、博物館、美術館、ジャズ祭など横浜の各所をノスタルジックに描きつつ、著者の自伝的な回想や街やひとびとの喧騒をリアルに交え、さらに幻想に満ちた古今東西の文学や音楽や絵画を重ねる手腕は、いわば魔術師の手さばきと言える。倉田良成は、まさに現代の神話作家だ。

疋田龍乃介詩集「歯車vs丙午」。不条理劇のようだが、観客を有無を言わせず引き込むのは、登場人物や大道具や舞台設定が意外な演技とセリフを際立たせるからだろう。豆腐も犬も蛇もミツバチも義母も灯籠も、怪談めきながら、語呂合わせや言葉遊びの快感で観客を虜にする。斬新で饒舌な文体が魅力だ。

秋田律子詩集「詩人のポートレート」。中也を書いた詩が冒頭にある。中也のことは知らなくてもその詩とポートレートに惹かれる。ひどい人だったといううわさもあるのに。太宰治を取り上げた詩が次にきて、それ以後は著者が自らを見つめた詩篇が並ぶ。詩と詩人の関係は常に謎めいたものかもしれない。

浜江順子詩集「闇の割れ目で」。忌まわしい死を直視する胆力は決して沈着冷静を意味しない。あわてふためきながら、人間の生死の総体を、性や生理や不安や不条理に満ちた宇宙や時空で、ジタバタしたり啖呵を切ったりしながら、透徹した眼力と筆力で痛快に描いてみせた、魅力溢れるホラー・エロス詩篇。

芳賀章内詩集「宙吊りの都市」。大震災の爪跡を癒し充実させるための歴史的現在。「人間の歴史は人間の歴史をもって超克しよう」とする立場から宙吊りの現状に向かい合う強靭な精神が、息詰まるような詩篇群となって現出している。「歴史のなかに芳賀章内はあり/ししゅふぉすのように/笑っている」。

紀の﨑茜短詩集「ちきゅうぼし」。「お日様が/ぽろんと//腰かけている」(切株)。少年詩という位置づけの短詩が並んでいる。言葉をひねくり回すことなく、実に素直に言葉を差し出している。技巧に走った詩が多く見られる中では新鮮に感じられる。77歳という覚悟の年、詩を書きたい思いが強まる。

福原恒雄詩集「土偏(つちへん)」。「その時のことくずれてしまった地球の足跡ほどの残土に/ちょぼちょぼっとだれのものでもないみどりが芽ぐんで光る」(「時に 芽生えて」より)。大震災に向き合い、失った言葉を探し堀り起こし拭い並べようとする中で、土を強く意識する人間。痛切さが胸に迫る。

南川優子詩集「ポフウエル氏の生活 百編」。地球規模で縦横無尽に言葉とイメージの離れ業を繰り広げる。跳躍、ひねり、宙返りなど体操のような爽快感がある。自由自在に繰り出される語彙が幾重にも絡まり合ってユーモアと意外性に富んだ時空へ連れ去る。類稀な実験性の陰に感じ取れる痛快なポエジー。
by nambara14 | 2012-12-23 10:50 | 詩集・詩誌評等 | Comments(0)


「現代詩年鑑アンソロジー145篇」を読んだ。いずれ劣らぬ力作ぞろいだが、特に心を惹かれたのは、原満三寿、伊達風人、川上亜紀、城戸朱理、日和聡子、望月遊馬、桑原茂夫、四元康祐、浜江順子、柴田千晶の各氏の作品です。物語性の強い作品に惹かれるのかもしれませんね。皆様、益々のご活躍を!

原満三寿「水の穴」。死んだ父の思い出を、<泣き桜>と<水の穴>をキーワードに、思いつくままに語るうちに、現実と幻想とがないまぜとなった不思議な世界が浮かび上がる。

伊達風人「わたしから一番遠いあなたへ」。わたしから一番遠いあなたへ南海の鯨について切実に語る、というような感覚が、世界や宇宙や生物や獣石や花などを七億年前の月光で照らすというような時空の広がりに通じる。全体にひとなつこさが感じられて、さまざまな言葉を生き生きとした魅力で包む。

川上亜紀「青空に浮かぶトンデモナイ悲しみのこと」。メルヘンタッチの「トンデモナイ悲しみ」とわたしとのやりとりが良質の抒情を生み出す。空に浮かぶ雲のような「トンデモナイ悲しみ」がサングラスをかけてわたしを見ている、なんてすてきなイメージだなあ。

城戸朱理「(それらは、自らが何かであることを・・・)」。漂流物を詩にすることは意外と難しいと思う。いかにも詩になりやすいように見えるから。この作品では、過剰な詠嘆や奇妙な事物や押し付けがましい断定や牽強付会がない。浜辺に打ち上げられた漂流物があるがままに正確に言葉で形容される。

日和聡子「旅唄」。「神裂が叩く銅鑼を持ってついてまわった」ではじまる奇妙な恋物語。神裂(かんざき)というのがわたしの相方の男の名前。それだけで詩のイメージが決まるほどのインパクトがある。二人で行った温泉街でも銅鑼を叩く神裂。おどろおどろした語り口に男女関係の悲喜交々が感じ取れる。

望月遊馬「家具の音楽」。詩集「焼け跡」についての感想を書いたことがあるが、その中で最も気に入った詩がこれだった。言葉のやわらかさ、豊かさ、おもしろさ、意外さ、物語の巧みさなどの点で傑出していると思ったが、再読してその感覚が蘇ってきた。

桑原茂夫「廃屋とにおいガラス」。ヒキタくんは図画工作が得意な少年だった。戦争中飛行機の部品工場だった廃屋へ誘われていったとき、ガラスの破片を拾って木切れにこすりつけると、甘い、心地よい匂いがした。「においガラス」は、戦闘機の操縦席前にはめ込まれた特殊なガラスなのだと教えてくれた。

四元康祐「日本語の虜囚」。外国経験が長くさまざまな外国語にも通じている著者が、日本語への愛情をベースに、言葉の超絶技巧を駆使して構築した独特の詩篇。有り余る知識や教養はあるものの随所に遊び感覚が散りばめられているので、楽しみながら読める。自分も「日本語の虜囚」だと共感してしまう。

浜江順子「城には死体があるから」。死や死体はいまわしいものだが、この詩篇では、なんだか性愛を欲する死体までが見えてきて、生を圧倒するかのようだ。おそらくヨーロッパにあると思われる城の中で、死体が圧倒的な力を発揮する。逆説的で怪奇な描写から開き直った強さや愉快さが読み取れる

柴田千晶「春の闇」。三組の俳句と詩による構成。「切り落とされた鶏の首も、短躯の男も、路地に立つ女たちも、/死者も生者も、皆、眼を閉じている春の闇である」。牛や豚の臓物、ちょんの間、殺人犯の家など猥雑な現実が、強靭な視力と胆力と言語力で描かれると、なぜか心が救われるような気がする。
by nambara14 | 2012-11-30 00:20 | 詩集・詩誌評等 | Comments(0)

最近の詩集評

 貴重な詩集等をお送りくださったみなさんありがとうございます。詩集を発行することの労苦と喜びを経験してきた者として、それぞれの詩集等に込められた情熱と愛着を十分理解した上で、一冊一冊読ませていただいております。短いながら自分なりに全力で記した感想を以下に載せておりますので、ご覧くだされば幸いに存じます。みなさんの益々のご健筆を切にお祈りいたします。

                                                              南原充士

         『 最近の詩集評(1) 』



岡野絵里子詩集「陽の仕事」。人はどこから来てどこへ行くのだろう。秋、冬、春、夏、秋、と並べられた詩篇。人は痛みや悲しみをかかえながらも光を見出すことで歩み続ける。生と死への暗示が正確で穏やかで聖なる言葉を探り当てる。光は陽の仕事、言葉は人の仕事。詩は人の望みのように書かれる。

小松弘愛詩集「ヘチとコッチ」。土佐の言葉を素材とした楽しい読み物という側面と方言と共通語さらには日本語の未来を真剣に考える研究書としての側面がある。言葉が亡びるという危機感から言葉を見ていくと、言葉はなんといとおしく見えるだろう。じるたんぼとかしつをうつとかへんしもとかね

秋川久紫詩集「戦禍舞踏論」。さまざまな芸術特に美術に精通した著者が装幀から個々の詩篇の細部に至るまで凝りに凝った造本となっている。現実とパラレルな戦場としてイメージされた世界では、あやしくきな臭く危険な誘惑や金や色恋や犯罪や訴訟などめくるめく情景が浮かび上がる。戦禍の中に舞踏が。

ヤリタミサコ「私は母を産まなかった/ALLENとMAKOTOと肛門へ」。人間の心は体の構造や発達や成長や機能によって揺さぶられる。性差もある。アイデンティティが曖昧な自己とのずれの中である種の不条理が意識の中に忍び込む。母ではなく自分自身を産んだという発見によりはじめて自立する。

ブリングル詩集「、そうして迷子になりました」。妻であり母である日常生活をベースにしながらも、想像力はどこまでも飛んでいく。言葉が溢れて読者も楽しい迷子になりそうだ。ユーモア、メルヘン、身体感覚、迷走の中に垣間見えるやさしさや寂しさがたまらない。「イジワル」のデリカシーが素敵だ。

中村不二夫詩集「House」。小生と同世代の著者の思いがよくわかる。幸不幸がないまぜになった人生をしずかに見つめて、どんなに辛いことがあっても希望を失わないようにしようという祈りが共感を呼ぶ。猥雑で筋書きのない現世にふと見出す聖的な啓示が詩へと昇華される過程が深い感動を与える。

るすいるす詩集「やわらかな安堵」。訪問看護師としての著者と、精神を病みかつ癌におかされたある患者との濃密な交流の様子を、誠実に丁寧にユーモアも交えて細部まで拾い上げるように記した記録風の詩篇だ。詩らしくしようとしない書き方がかえって心を打つような気がする。身につまされる詩集だ。

小川三郎詩集「象とY字路」。しばしば使われる言葉がある。人、父、母、男、女、子供、家、街、花、雪、生、死。ある種の虚無感が反語や諦念で示されるが同時にユーモア感覚が慰藉を与える。象、猫、天狗、幽霊などを巧みに描く。普通の論理を超えた「詩の論理」というものがふしぎな世界を造り出す。

野村喜和夫詩集「難解な自転車」(書肆山田)。相変わらず旺盛な創作意欲が感じられる。さまざまな実験的なスタイルによる詩のオンパレード。タイトルポエム「難解な自転車」はふしぎなユーモアで読ませる詩だ。「小言海」も、五十音を詩でさまざまに楽しませてくれる。200ページに及ぶ大部な一冊。

秋亜綺羅詩集「透明海岸から鳥の島まで」。自分と同世代の詩人。若いころから活躍されていたので、第二詩集と知ってびっくり。深刻なテーマも全般に冷静なタッチでさまざまなスタイルを駆使して描いているが、「透明海岸探査ゲーム」は切迫感があり、言葉も直接感情に訴えるという点で特に印象深い。

望月遊馬詩集「焼け跡」。言葉が少年少女のようにういういしく傷つきやすいメルヘンを紡ぎだす。あまりに繊細でシャイな感性は、照れくさいのか、焦点をぼやかしてしまう。そんな中で、「家具の音楽」は、比較的童話的なストーリー性が明確で、牛をめぐるユーモラスで奇想天外な話の展開に魅せられた。

倉田良成詩集「グラベア樹林篇」。現代の神話創造者とでもいうべき著者が、古事記などの古典文学、折口信夫や柳田國男などの民俗学、レヴィ・ストロース、旧約聖書、その他多くの神話、伝承、地名、言語等に係る博識を基礎に、詩人としての実力を遺憾なく発揮して書き上げた詩篇及び魅力あふれる自注。

三井喬子詩集「岩根し枕ける」。柿本人麻呂への深い思いが通奏低音のようにあるいは心の底を流れる水のように感じられる。そして、現代を生きる詩人の感性が人麻呂と感応することによって、いっそう時空の広がりを感じさせる。痛切な思いに動けなくなったかと思うと、人を食ったような凄味のあるユーモアも顔をだし、時には、さびしい気持ちや悲しい思いも抑えきれずに浮かんでくる。

山田兼士詩集「家族の昭和」。著者と小生は年齢的に割と近いので、詩集に登場する多くの昭和のヒットソングが自分の思い出とかなり重なってしみじみと共感できた。また、家族のさまざまな情景や悲喜こもごもが私小説のような味わいで的確に描き出されていると感じた。
by nambara14 | 2012-11-10 18:25 | 詩集・詩誌評等 | Comments(0)