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カテゴリ:新作詩歌(平成19年発表)( 38 )

野口英世像

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日本銀行福島支店において、廃棄処分となって細かく裁断された千円札を使って作られた野口英世像。(日経ネットによる。)

 このブログにも載せた「イデヨの左手による覚書」を書くために、野口英世のことをいろいろ調べたので、彼への親近感が増したような気がする。

 こういう記事にはすぐ目が行く。


by nambara14 | 2008-01-30 10:26 | 新作詩歌(平成19年発表) | Comments(0)

角を曲がるわたし


    角を曲がるわたし



角を曲がるのは わたしです
振り返ると 太陽がまぶしくて
わたしがやって来た方向が見えません
でも あちらからやって来たのは わたしです

細い路地でつまずいて転んでも
からだがふいに浮き上がっても
新型ウイルスに侵されて激しい痛みに襲われても
それは わたしです

きっと わたしは 最果ての崖っぷち 
あるいは 果てしない無心に向かって 進んでいるのです
やがて わたしは見えなくなります
どんなに固く手をとってくれるひとがいたとしても
つなぎとめることはできません
あのかすかな点 それが わたしです
消えていく わたしです


by nambara14 | 2007-12-29 13:25 | 新作詩歌(平成19年発表) | Comments(0)


     『 イデヨの左手による覚書 』

    
       (プロローグ)

 
  「なんということだ!」
  彼は 晩秋の公園を 冷たい風に吹かれながら
  乱れきった心に引きずられるように 歩いていた
  さきほど見た光景はなにかの間違いではなかったか?
  暗い道路の片隅で軽くキスをかわしていたのは 
  彼の親友と彼の彼女だったのだ
  思えばその親友とはなにかにつけていさかいがあったのだったが
  とびきりの秀才で きらきらと瞳を輝かしながら
  医学の将来を語る親友のしぐさを見ると
  勉強会をすっぽかしたり 借金を返さないのも
  大目に見てやろうという気になったのだった
  だが 今度はよりによって自分の彼女にまで手を出したのだ
  怒りでふるえる体をもてあましながら歩いていた彼に
  ふと木陰にある銅像が目に入った
  「おや あの有名な医学者の像だ。」
  自信に溢れた表情で 右手に持った試験管を高く掲げ
  左手は軽く握って腰に当てている
  左手のあたりを注意してみたがとりわけ変わったようすはなかった
  その日 疲れきったこころとからだで家に帰った彼は
  なんとなくインターネットでその医学者のことを検索してみた
  さまざまな情報の中に風変わりなメモがあるのが目に留まった
  彼はそのページを保存しプリンターで印刷した
  じっくりと手にとって読んでみた

      *

   【 イデヨの左手によるメモランダム 】

    1
  
どこか草深い地方のようだった
きびしい寒さの中で囲炉裏の火がちらついていた
母は食事を作ったり片付け物をしたりして
目が回るような時間をすごしていた
母がちょっと表に出て仕事をしているときだった
突然赤ん坊が火がついたように泣きだした
見れば 赤ん坊が囲炉裏に落ちている
思わずわが腕に取り上げたが
左手がまっかにふくれあがっている
どうしていいかわからないまま
母は薬箱をさがした やけどにつける薬などなかった
無意識に包帯だけを巻きながら母は思った。
(医者に行こうにもそのお金がない・・・)

赤ん坊はやがて元気に走り回るようになった
左手はやけどのせいで指がくっついてしまっていた
こどもたちがその手を見ては「手ん棒」と言って冷やかした
母はいつも子供にあやまった
しっかり見ていなかったせいでこんなことになってしまった
あるとき手術ができる洋行帰りの医者がいるというので
同級生たちの募金によりついに手術を受けることができた
完全ではなかったが指はある程度分離できた
子供はいつのころからか医者になることを夢見始めていた
トカイに出るためと言ってイデヨは知り合いから金を借り
ついにイナカをあとにした


   2

イデヨは天才タイプではなかった
それでも睡眠時間を削ってまで勉強したので
医学の知識は十分に身につけた
医師の試験を受ければ
権威ある教授さえ気付かなかった病気を見つけて驚かれた
とにかくひとの何倍も努力するしかないんだ。
やがてタサト研究所に採用されて
新たな病原菌の発見のための研究に没頭できると喜んだ
だが実際は雑用しかやらせてもらえなかった・・・

イデヨはあきらめなかった
検疫所に移ってからペストの患者を発見したり
清国へ ペストの国際予防委員会のメンバーとして派遣されたりした
やがてイデヨの医学の実力もしだいに認められてきた
イデヨの医学への執着はじんじんと体の中で燃え上がった
まるで痛みが収まらない内奥部のやけどのように

庇護者たちに壮大な夢を語って大金を借用し
アメリコの医者にたくみにとりいって
イデヨはついにアメリコに渡ることになった

   3

文字どおりの押しかけ渡米だったが
イデヨはかろうじてフレクスナー教授のもとで
蛇毒の研究を手伝う仕事にありついた
不眠不休の仕事ぶりは周囲の者たちを驚かせた

血走った目はいよいよ真っ赤に 癖毛の頭髪はますますねじれて
髪をかきむしり ときおり素っ頓狂な叫びを上げるイデヨ
どうやらイデヨにはもう一匹の獣がすんでいるらしいとのうわさが広まった
あの気違いじみた研究態度のうらには
夜な夜なくりだす歓楽の世界が隠れているのだと言いふらすものがいた
放蕩という語彙を覚えてしまったイデヨの大脳辺縁系は
発火しつづけるシナプス結合を増殖し
真昼に脳裏に焼き付けられた病原体の潜在記憶が抹殺されるために
電位差を与える神経伝達物質を作り出そうとして
赤いふんどしを締めた獣に化けるのだと言い換えられもした

それでも「人間ダイナモ」は一心不乱に研究に没頭し
白人社会にも食い込める成果をあげたのだった
その後フレクスナー所長に招かれて行ったロック研究所では
梅毒スピロヘータの純粋培養に成功した
何万枚もの病理組織標本を顕微鏡で観察して確認した
そのころまでにはメリーという白人女性と結婚もしていた
ノーベル医学賞の候補にさえなった

いちどイデヨはジポンに帰国した
イデヨの名声は国中に浸透しており各地で歓待された
ただそれがイデヨの最後の帰国となった
イデヨの中の獣を見た者もいたからかもしれない

やがてイデヨは黄熱病がはやっていたエクアドルへ派遣された
イデヨはただちに病原体を特定しイデヨワクチンを開発
(ただし今日ではワイル病スピロヘータだったと考えられている)
その地域の黄熱病は収束した
イデヨはまたまたノーベル賞の候補になった

イデヨワクチンはアフリコでの黄熱病には効果がないと聞いた
イデヨの研究に疑問が寄せられているというのだった
たまらず イデヨはアフリコに向かった
ガーナに研究施設を建てて アカゲザルを使って病原体特定に着手
だが急に高熱を発したイデヨ
あえなく国立病院のベッドでイデヨは無念の最期を遂げた
五十三歳。研究への未練を残したまま。黄熱病により。
「なにが、なんだか、わからない。」
それがイデヨの残した最後の言葉だった

    4
 
イデヨはやがて偉人伝にも登場した
千円札の顔にもなった
ヤケドを克服して医者となり人類の救済のために命を捧げた
黄熱病の研究の道半ばで病に倒れた人道主義的な英雄
それがイデヨ像だった

だが イデヨは光と影をもっていた
数え切れないほどの勲章や学位や賞賛を受けた研究成果
ノーベル医学賞候補に三度
そして 誤りも多かった研究論文 更に 度重なる借金と好色と博打と――
でもそのすべてがイデヨだったのではないか?

(ロック研究所の研究員が黄熱ワクチンを開発したのは
イデヨの死後十年余り経ってからだった)

       **


      (エピローグ)


  彼は このメモを読み返し やがてデスクの引き出しにしまった
  頭の中でイデヨの小柄なからだと口ひげと左手がぐるぐる回った
  親友と彼女とのこともすこし距離をおいて考えられるかもしれないと思った
  できればイデヨの詳しい伝記を読んでみたいという気になっていた
  自分の中でうごめいている獣は一体なんなのか
  イデヨの生涯をたどってみれば
  すこしは参考になるかもしれないと感じ始めていた・・・

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  上の作品は、「SPACE77」(平成20年1月1日発行)に発表したものです。

  野口英世の伝記をもとに書きました。

  その際、渡辺淳一著「遠き落日」を参考にさせていただきました。

  渡辺氏のこの伝記小説は、徹底した取材に基づく、活き活きとした描写と野口英世への愛情がひしひしと伝わってくる名著だと思われます。

 野口英世については、毀誉褒貶が錯綜していますが、すぐれたところは評価し、問題があった点については率直に認めるというのが、とるべき姿勢かと思われます。

 これを機会に、野口英世について、多くのみなさんが興味を持っていただけたらうれしいです。

 なお、下の写真は、上野公園の中にある野口英世像ですが、林の中にあるので目立たないのが残念です。
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by nambara14 | 2007-12-27 13:07 | 新作詩歌(平成19年発表) | Comments(2)

足跡



   足 跡


舞い上がる砂塵の中で
地平が傾き始める
足跡はつづく
はじまりの分子の組成によって
決められた筋書き通りに
冷たい闇の空気を感じながら
熱い金属の芯の連鎖的な分裂を背負いながら
重たい袋から質素な粒子をこぼしながら
軽口を叩きながら
見たこともない高温高圧の内部が盛り上がり
爆発しようとする予兆をかぎつけ
逃げ去った生命体の外観を見れば
たとえば オランウータンの腕
虫取り草の消化液
交尾を済ましたカマキリ
ヒトの声で鳴く九官鳥
一瞬の太陽の光で浮き上がる彩りあざやかな
足跡


by nambara14 | 2007-12-26 16:30 | 新作詩歌(平成19年発表) | Comments(0)

変 容


    変 容


ピーッという鳴き声
かさかさ葉がこすれあう音がして
見上げると 高い枝の先に
鳥の尾だけが見えた
自分の体が浮いた
鳥に吸い込まれたのか
それとも 透明になったのか

はるか下方には
暗緑色の海原
波立つ海面の下に
黒い影が見えた
急降下すると それは
最大の哺乳類
悠々と泳いでみれば
海底から 聞こえてくるのは
トトト ツーツーツー トトト 
あっという間もなく
巨大なからだがもみくちゃにされ
殴られ ひっくり返され 引き裂かれ
遠く 深く 流れていった・・・

自分の体内から突き出してきた
一本のナイフ
天空に向かって 突き刺さる
一筋 血の光を見たのは
鳥か 鯨か 自分か
だれでもないものか?



by nambara14 | 2007-12-18 14:11 | 新作詩歌(平成19年発表) | Comments(0)

無名抄

      

 無 名 抄
                           


平成十九年(西暦二〇〇七年)三月十九日~二十二日、北京において、いわゆる六カ国協議(北朝鮮の核開発問題に関する中国、北朝鮮、日本、韓国、ロシア及びアメリカによる会合)開催。マカオのBDAで凍結されている北朝鮮関連の資金の返還について合意はなされたものの返還の確認ができないとのことで、協議は進展を見ずに休会。

平成十九年三月七日~八日、ハノイで、日朝国交正常化に関する作業部会開催。北朝鮮側は、「拉致問題は解決済み」との主張を繰り返し、協議は進展せず。

平成十九年二月八日~十三日、北京で六カ国協議開催。「平成十七年九月十九日の共同声明の実施のための初期段階の措置」について合意。その主な点は、次のとおり。

「・ 北朝鮮は、六〇日以内に、寧辺の核施設の活動停止及び封印を行い、ⅠAEAによ
  る監視を受け入れる。(いわゆる、初期段階の措置)
  
・ 他の五カ国は、見返りの緊急エネルギー支援として重油五万トン相当の支援を行う。初期段階の措置の段階及び次の段階(核施設の無力化等)の期間中、重油百万トンに相当する規模を限度とする経済、エネルギー及び人道支援(最初の重油五万トン相当分を含む。)を行う。

・ 北朝鮮と日本は、平壌宣言に従って、国交正常化のための二者間の協議を開始する。」

なお、日本は、拉致問題が進展するまで、見返りのエネルギー支援には参加しない
旨を表明。                               

 平成十八年十二月三十日、イラク前大統領S・H死刑執行。

 平成十八年十月十四日、国連安保理が、北朝鮮に対する制裁決議案を採択。

 平成十八年十月九日、北朝鮮が核実験実施。

 平成十八年十月九日、内閣総理大臣A・Sが韓国訪問。

 平成十八年十月八日。内閣総理大臣A・Sが中国訪問。

 平成十八年九月二十六日、A・S内閣が発足。

 平成十八年八月十五日午前、内閣総理大臣K・Jは、モーニング姿で靖国神社を参拝した。五年五ヶ月にわたる政権の最後に、当初の公約を実行した。中国、韓国はそれを厳しく批判した。

 平成十八年八月六日午前、内閣総理大臣K・Jは、広島市の平和記念公園における平和記念式典に出席してあいさつを行った。広島県知事F・Yも出席。広島市長A・Tは、「平和宣言」を読み上げた。新たに原爆死没者名簿に追加されたのは、氏名不詳者多数。

 昭和六十年一月十九日、ワシントンにおいて、全権委員K・Nほかが、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(いわゆる新・日米安保条約)に署名。条約発効は、同年六月二十三日。

 昭和二十六年九月八日、サンフランシスコにおいて、日本とアメリカは、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(いわゆる旧・日米安保条約)を締結。署名したのは、主席全権Y・Sであった。条約発効は、翌年(昭和二十七年)四月二十八日。

 昭和二十六年九月八日、サンフランシスコ平和条約(連合国四十八カ国と日本国との間の条約)締結。日本側の署名人は、主席全権Y・Sほか。これにより日本は主権回復。東京裁判を受け入れた。条約発効は、翌年(昭和二十七年)四月二十八日。      

 昭和二十一年十一月、東京裁判の判決が下された。十二月二十三日、死刑執行となったA級戦犯は、T・H、I・S、K・H、D・K、M・A、M・I、H・K(七名)。

 昭和二十年九月二日、東京湾内停泊中の米戦艦ミズーリ甲板上で、大日本帝国全権S・M
、大本営全権U・Y、連合国への降伏文書に調印。

 昭和二十年八月十五日正午、昭和天皇、ラジオで大日本帝国臣民に対し無条件降伏・戦争終結について伝えた(いわゆる玉音放送)。

 昭和二十年八月十日、大日本帝国、連合国側に対し、ポツダム宣言受諾を打電。

 昭和二十年八月九日、米軍、長崎市に原爆投下。

 昭和二十年八月六日午前八時十五分、米軍、広島市に原爆投下。

 昭和十六年十二月八日、日本軍、ハワイ真珠湾攻撃、太平洋戦争勃発。


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  上記作品は、「SPACE73」(平成19年5月)に発表したものです。

 これを書いたのは今年の3月でしたから、もう9ヶ月前になります。

 その後、六カ国協議も核施設についてはそれなりの進展が見られましたが、拉致問題については進展が見られていないようです。

 また、内閣総理大臣も、安倍晋三氏から福田康夫氏に変わっています。

 歴史は立ち止まることがないことを痛感するとともに、平和を維持するためには、冷静に歴史を振り返り、現実に的確に対応することが不可欠だという思いを新たにしています。
 



by nambara14 | 2007-12-15 14:31 | 新作詩歌(平成19年発表) | Comments(0)

カウンティング抄

    



カウンティング抄


 
              《次に掲げる数値は、平成十八年(西暦2006年)十二月現在において
              入手可能な種々の統計やデータに基づいたものである。》

    
     *


平成十八年における日本の死亡者数は、約一〇九万人。(厚生労働省の推計。)
(ちなみに出生者数は、約一〇八万人)

平成十八年十月の日本の人口は、約一億二、六二〇万人。(厚生労働省の推計。)
平成十七年の日本の出生率は、一.二六.      

世界の人口は、約六五億人。

平成十七年の日本の殺人認知件数は、一、三九二件、検挙人員は、一、三三八人うち少年被疑者は、   六七人。

平成十七年の日本の交通事故死者数は、六、八七一人。
平成十七年の日本の自殺者数は、 三万二、五五二人。

イラク戦争開始以来のイラクにおける米軍兵士死者数は、平成十八年十二月末
までに、三,〇〇〇人超。(なお、イラク人の死者数については正確な統計が
ないが、十何万人という説もある。)

二〇〇一年九月一一日のアメリカ同時多発テロでの死者数は、二、九七三人。
 
    **

太平洋戦争における日本人の死者数は、軍人 約二二○万人、
                  民間人 約九〇万人

長崎原爆死者数 約 七万人
広島原爆死者数 約一四万人
(昭和二十年末までの推定)


    ***

一九四五年四月三〇日、ドイツ帝国ベルリンの総統官邸地下壕において、総統アドルフ・ヒトラー及びその妻エヴァ・ブラウン自殺。
 
一九四〇年から一九四五年の間におけるポーランドのアウシュビッツ(ポーランド名=オシフェンチム)収容所におけるユダヤ人の死者数は、約一五〇万人。

   ****
 
一九三七年(昭和一二年)一二月一三日、日本軍の侵攻により中華民国の南京陥落。以後、日本軍による虐殺が行われたことについては、肯定・否定諸説あり。また、虐殺による死者数についても、数千人から数十万人まで説が分かれている。

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  上の作品は、「SPACE72」(平成19年3月1日)に発表したものです。

 人類の歴史を振り返るとき、個人史と対極にある、統計や年表にある一見無味乾燥な数字や出来事の羅列がなにか深いものを語りうるのか?という問題意識から試みてみたものです。



by nambara14 | 2007-12-11 12:40 | 新作詩歌(平成19年発表) | Comments(0)

ヒポクラテスの肖像


      ヒポクラテスの肖像


少年は、入院病棟からレントゲン室に行き、エックス線技師の指示どおり、腕を体側に沿わせるポーズで撮影装置の平たい面に胸を押し付けた。
(なんの病気なのか? うすうすは感じていても、正式の病名は知らされていない。)
 時々呼吸が苦しくなる。そんな時は、もう死ぬんだと思い、恐怖で体が震えだす。
 今日はすこし気分がいいので、ちょっと遠回りをして、外来の玄関を通って自分の病室に戻ることとした。ふと目に入った診療科の案内板のところでどんな診療科があるのかあらためてチェックしてみる。少年は、内科という文字に目が留まる。
(自分は内科の患者らしい。)
外科、皮膚科、眼科、耳鼻科、産婦人科、小児科、形成外科・・・。

(少年は思う。)

『今の医学の発達段階はどのようにとらえることができるのだろう。
ぼくは、多くの診療科が更に細分化、専門化しているのを知っている。先日読んだ書物によると、1953年に、ワトソンとクリックがDNAの二重螺旋構造を発見したそうだ。その後、遺伝子の研究が進んで、最近では、遺伝子治療が導入され始めている。現在の日本人の三大死因は、がん、心疾患、脳血管疾患だそうだ。現時点でのがん治療の主な方法は、手術による切除、放射線治療、抗がん剤投与の組み合わせらしい。たとえば、2000年後の医学のレベルから見たら、今の治療方法はどう評価されるだろう。

 鳥インフルエンザの発生は世界を脅かしている。二十世紀はじめ、スペイン風邪が世界中に蔓延し4000万人の命を奪ったという。今は、時折、鳥から人に感染することがあるだけの鳥インフルエンザのウイルスが、突然変異により、人から人へ感染する新型インフルエンザに変質することが懸念されている。
とある地域に鳥インフルエンザの患者が発生すると世界保健機構(WHO)などが専門の医師を派遣して二次感染の防止に万全を期しているそうだ。
 現在の感染症対策は、手を洗い、うがいをすること、外出を避けること、発生した患者を囲い込んで二次感染を封じ込めること、ワクチンを開発、製造することぐらいしかないらしい。』

(少年は更に思う。)

『振り返れば、紀元前5世紀のギリシアにヒポクラテスという医師がいて、「人を愛するところにこそ医術への愛もある。」と述べ、医者のモラルを強調したそうだ。医者の心構えを記した「ヒポクラテスの誓い」は今日でもなお尊重されている。たとえば、「自分の能力と判断にしたがって、患者の利益になると思う治療法を選択し、有害なことはしない。頼まれても、死を招くような薬を与えない。・・・治療の際に見聞したことはもちろん、治療に関係ないことでも、他人の私生活についての秘密は口外してはならない。」というようなものだ。もっとも、この誓いは後世の人が書いたというのが真相らしいが。
 紀元二世紀のガレノスもまた自然力を重視し、実証的な医療を実施した医師だったそうだが、ガレノスはヒポクラテスを神のように尊敬していたという。
 そのヒポクラテスの肖像画を、日本ではじめて描いたのは、石川大浪だった。寛政十一年(1799)、大槻玄沢の依頼により描いたそうだ。その元になった画は、オランダの医師ゴットフリートが記した「年代記」という書物の中にあったものだったらしい。
 ぼくは、ヒポクラテスの肖像画をコピーして手元のファイルに入れている。はげ頭と白髪。仙人のような風貌。鋭いまなざし。そのプロフィールはぼくの心をとらえて離さない。もしヒポクラテスが今生きていたとしたら、ぼくの病気をどう診断し、どう治療してくれただろう。この二千年余りの間に積み重ねられた、多くの有名無名の医師たちの努力の成果が、今日の医療に生かされているだろう。だから、おそらくヒポクラテスだって、「うんうん」と満足げに治療の様子を見守っただろう。』
 
『それにしても(少年は思う。)、現在を生きる自分は、現在の医療水準の治療を受けるしかない。はっきりとは言われていないが、自分はきっと難病に冒されているにちがいない。いつまで生きられるのか? いつ意識を失う時が来るのか? 耐えられない痛みが襲ってくるのか? 歩くことすらできなくなってしまうのか?』

 いろいろなイメージが一斉に少年の頭をいっぱいにした。少年はめまいを覚えた。しかし、このまま案内板の前に佇んでいるわけにはいかないだろう。少年は気を取り直して、また、自分の病室に向かってゆっくりと歩き出した。
 
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   注:この詩は、「SPACE76」(平成19年11月1日)に発表したものです。




by nambara14 | 2007-12-07 11:34 | 新作詩歌(平成19年発表) | Comments(0)

秋の悲歌


      秋の悲歌 


少年のころは 紅葉を見ると 心が躍った
拙いながら クレヨンで 微妙な色調を写そうとした
小さな画用紙に 鉛筆で ざっと 下書きをして
ひたすら 紅葉を 樹の幹や枝を その背景を 見つめた

見る前に 心にはあふれてくるものがあった
心はどきどきして むしろ 景色に色彩を与えた
複雑すぎる陰影は クレヨンでは描けなかった
不器用な手が 苛立ちで 画用紙をこすりつけた

いま ぼんやりと紅葉を眺める自分はだれなのだろう?
こんなにさびしそうな秋の暮れ これ以上ない悲しげな風景
嘆きの歌を歌うのに ふさわしい場所に 立っているのに

乾いた風が吹いていき 中古の心がひからびる
原色の にぎやかな パーティーは終わったのか?
冷め切ったスープを一口 飲んだだけなのに・・・

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by nambara14 | 2007-11-20 14:20 | 新作詩歌(平成19年発表) | Comments(0)

秋の歌


 
     秋の歌


このさびしさは どこから来るの?
まるで出口を失った子猫のような鳴き声
鳴くたびに ますますさびしくなって
あてもなくさまよいはじめる

それは遠い日の思い出がやってくるからだ
生まれる前の 遺伝子のつぎはぎだらけの螺旋階段
何万ものきれはしの中に かなしみの遺伝子はある
永遠にやむことのない 突然変異のシステム

だれも予測できない未来に向かって
おそれおののくことができるだけの人類
ほんとうの名は なんて言うの さびしん坊?

ただひとつ 解き難い謎かけにこたえる道は
とぎれとぎれであっても だれかと言葉を交わしあい
できれば そっと抱擁をかわすことではないかと?

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 (注)  この詩は、ミクシ仲間の女性が、「秋は なんだかさびしくなるわね!」と日記に書いているのを見て、それじゃ詩人のはしくれとして、「秋のさびしさを表現してみようじゃないか!」と思い立って、作ったものです。できたてです。

 なお、第一行は、ボードレールの「 いつまでも このままで 」からヒントを得ました!


by nambara14 | 2007-11-12 11:45 | 新作詩歌(平成19年発表) | Comments(0)