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2006年 11月 02日 ( 1 )

歴史の路地裏または理論への信仰


木造家屋の間の路地を抜けようとすれば こどもたちが走りまわっていて歓声があがる
土の路地は足にやさしく雑草がそこいらじゅうに生えている 名も知れぬ草花に名も知れぬ虫が舞う ここは地図のどのへんなのか 何枚も何枚もある地図はパッチあてで補修されていて
等高線も異なる時点での観測データの張り合わせだ そのようにこのあたりはかつてなんだったのか調べようとすれば 地質学者のようにここにとどまらなければならない

石造りの家屋が立ち並ぶ迷路のような路地はアラブ系の街並みだろう。頭の上の板にパンを乗せて運ぶ少年。ここでもこどもたちがサッカーみたいなゲームをしている。うれしそうに叫び声をあげる。路地沿いの塀は傷んでれんがが一部露出している。金物屋がなべ釜を所狭しとならべている。ここにも地図はあるだろうが、地図をあまり使わないひとびともいるようだ。詮索してもしょうがないとでも言いたげに見えるが、民族がちがうとひとの皮膚や表情やしぐさは読み取りにくいので、早計に結論は出すべきではない。

ここは世界の中心だったことのある街だ。それでもあちこちに路地はある。といってもこのあたりは高級住宅地らしい。この建物は昔高名な神官が住んでいたとか、この広場の一角で皇帝は暗殺されたとか、地図におびただしい注釈がついている。偉大な過去の栄光が巨大な遺跡として発掘され保存されている。ここでは奴隷がライオンと闘う見世物が行われていたという。流れた血は床の傾斜に沿って溝に集められ地下に流されたらしい。貴族から平民まで嬉々として殺人ショーを楽しんだのだった。

その程度のことは日常の判断力で理解可能だ。だが、目に見えること触れえることだけでは到底理解できない理論というものがある。たとえば、エネルギー保存の法則。137億年前にビッグバンとやらで宇宙がひょっこり生まれたんだって?物質はすべて宇宙の塵。塵が寄り集まって草になり肉となる。ほろびれば灰になり土になる。風に舞っていのちが受け渡される。増えも減りもしない物質の質量。

たとえば、閉じた宇宙。たとえば膨張している宇宙。やがて収縮しはじめる宇宙。ユークリッド幾何学が成り立たない宇宙の構造。そんなものは感覚では理解できない。天才の理論がそういうから信じるだけだ。

たとえば量子力学。物質は粒子と波動の両方の性質を持つ。甲乙の区別が付けられない素粒子レベル。どこを通ったかわからないなんて。どの路地を抜けたか特定できないなんて。そんなことは理解できない。

天動説に対する地動説。○○世紀のひとびとは戸惑っただろう。だれも自分ではもてない理論の問題だからだ。

聖書に対する進化論。天地創造の理論はどうなったのか。

それでも天才は現れ、だれも気がつかなかったことを叫んで驚かせる。投獄されても処刑されても真理を叫ぶ声は消えない。

《それでも地球は回る》

だが、大衆はただこう言うことができるだけだ

《それではなぜ目がまわらないんだろう?》


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   (注):この詩は、詩誌「SPACE」74号(2007年)に発表しました。


by nambara14 | 2006-11-02 14:08 | 新作詩歌(平成18年発表) | Comments(0)