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「価値観の研究」(第一部)(その0)

     
    ここに掲載した「価値観の研究」(第一部)は、別のブログ「南原充士の芸術随想=越落の園」に発表したものを、読みやすくするために、順番を1番から50番まで並べなおしたものです。理屈っぽいので、読みにくいかもしれませんが、人間が生きていくうえで必ず突き当たる諸問題を、自分の経験を踏まえて少しづつ整理してみたものです。参考になれば幸いです。とくに、若い人に読んでもらいたいと願っています。

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            『 価値観の研究 』 
 

           

                        = 第 一 部 =

            
                                        
                                                                      H19.12    
    



   【 目 次 】

1.価値観の研究の目的
2.美醜について
3.宗教について
4.思想信条と詩
5.優先順位
6.決定権
7.科学と思想
8.価値観の競争
9.紛争の解決
10.価値観の形成
11.価値観の要素
12.性善説か性悪説か?
13.団塊の世代
14.立場
15.社会批判の視点
16.建前と本音
17.情報の洪水
18.タブー
19.情報の自動仕分け機能
20.戦死したティルマンの場合
21.野党の役割
22.発言の科学的解釈は可能か?
23.利害関係
24.同性愛者の問題
25.言葉と行動
26.憲法改正問題(その1)
27.憲法改正問題(その2)
28.人間関係(その1)(恋愛関係)
29.〃   (その2)(職場)
30.〃   (その3)(家庭)
31.〃   (その4)(学校)
32.〃   (その5)(劇団の場合)
33.〃   (その6)(地域社会)
34.〃   (その7)(相性)
35.〃   (その8)(コミュニケーション)
36.〃   (その9)(嘘も方便)
37.〃   (その10)(全体と部分)
38.〃   (その11)(人格形成)
39.〃   (その12)(三角関係)
40.〃   (その13)(グループ)
41.国家(その1)
42.国家(その2)
43.歴史
44.失言
45.誤解
46.科学と価値観
47.善意と悪意
48.正義
49.無意識
50.価値観の共存共栄に向けて




















1.価値観の研究の目的

科学の法則とはちがって、人間の生き方には客観的な基準はないような気がする。
人間の生き方は、結局、絶対的ではなく、相対的、経験的なものだと思う。
国家というものも歴史的に形成されてきた。法もまた便宜的なものだ。人工的なものだ。
宗教もそうだ。道徳もそうだ。常識もマナーも礼儀もみんなそうだ。
人間関係も。雇用関係も。お金も。冠婚葬祭も。言語も。習慣も。しきたりも。
生産も消費も。通信や情報も。生活様式も。
戦争のやり方も。ひとの殺し方も。病気への対処の仕方も。
数え切れないぐらい多くの項目があるだろう。
ほとんど、人間の長い歴史を通じて形成されてきた。
では、絶対ではないなら、無視してもいいだろうか。

 そんなことはない。
人間の知恵というものは尊重されるべきだろう。これはひとつの意見だが。
ただ、あらゆるものはそういう性格をもっていることを忘れないことがたいせつだと思う。
ほとんどの人間が戦争反対のはずだが、現実には戦争は世界各地で起こっている。
現実を見ることは不可欠だと思う。
社会科学も不完全とはいえ科学的なアプローチではある。
信頼できる部分は活用した方がいいと思う。
国際紛争の発生の仕組みや予防の方策、可能性。外交の役割。
経済や貧困と紛争とのかかわり。国際協力の役割。人道主義の位置づけ。
共存共栄もひとつの価値観だ。
拉致問題はなかなか解決の方向性が見えてこない。
その背後にある国家としての立場や利害や価値観を冷静に見定める必要があるだろう。
どんなに人工的なものだとはいえ、今現在のわれわれの安全にかかわることだ。
絶対ではない価値観が、国レベル、地域レベル、職場や、学校レベル、個人レベルなどいろいろなレベルで大きな影響力を持つ。
だとすると、価値観をしっかりと確立しておくことは生き延びるために非常に重要なことだ。
人間社会ってふしぎだね。
たまたま作られた価値観が絶対的な影響力を及ぼすのだから。
つまり、言論レベルではなく、行動、物理的な力、暴力のレベルにまで行くのだから。
ふとそんなことを考えてしまいました。


2.美醜について

美とはなにか?
永遠の課題かもしれない。
「言語にとって美とはなにか?」と問い続けてきた人も多いと思う。

ところで、今回は、あるがままの美しさについてとりあげたい。
つまり、人工の美に対して、自然のままの美というものがあるのかどうかということである。

今自然が美しいといわれるときその自然の多くは人工の自然であることが多いような気がする。
もちろん、前人未到の天然自然などというものもあり、ジャングルの美、砂漠の美、秘境の美など、
手を加えていない自然の美もあることは否定できない。

では、身近な話題として、人種について美醜はあるだろうか?
白人と黒人とアジア人とか・・・。
同じアジア人でも美人と不美人がいる。
個別に比較すれば美醜を語りやすいかもしれない。

では、人種まるごとでとらえたらどうだろう?
差別問題などがからんで議論することは困難かもしれない。

では、動物についてはどうか?
犬と猫。猿といのしし。鰐といたち。
うぐいすとすずめ。孔雀とにわとり。
金魚とフナ。サメとまんぼう。

植物についてはどうか?
桜とつつじ。
菊とコスモス。
松と杉。

品種改良とかもなされているので、
どこまでが天然かは判断がむずかしいが、
とにかくおびただしい生物種について観察し、
美醜を論じだしたら切りがない。

しかし、それ自体が美しいかどうかということと、
美しいものを目指して、人工の努力をすることは、
相互に作用しあって、美を高めるように思う。

たとえば、うまれつき美人だといわれる女性がいるとしよう。
彼女が、食生活に注意し、運動を楽しみ、教養を身につけ、
化粧やファッションのセンスを身に着けたなら、鬼に金棒だろう。

・・・では、言語に戻ってみよう。

詩は言語の美をもとめているのだろうか?
それともほかのなにかを求めているのだろうか?

美醜を含めた全体とか?美醜を超えた存在とか?

なかなか答えが見つからない難問だと思うが・・・。
どうだろうか?
















3.宗教について

科学の発達はめざましい。特に、最近の発達のスピードは驚異的だ。
それでも、わからないことは無限にあり、まじめに考えるとだれでも狂気から逃れられそうもない。
 だから、深く考えすぎないようにするか、とりあえず、わかったところを踏み台にして
次の謎解きに挑戦するか、最新の研究成果を入手することで、一応の満足を得るというふうにすることが多いのだと思う。

 科学はわかるわからないがかなり客観的に判断できるからまだ扱いやすい。
でも、おそろしく複雑な宇宙というものがなぜ存在しているのかという問いにはかんたんに答えられないだろう。科学も狂気をはらまざるをえない。

 人間の精神生活は始末に悪い。
死という不可避の結末から逃れはない。いつ訪れるかもわからない。
不安定だ。不安だ。はかない。おそろしい。どうせ死ぬならなにをしても無駄か?死ぬまでは充実した生をまっとうしたい。いろいろな価値観がありうる。

 歴史をふりかえれば、宗教と無縁の民族はなかったようだ。
なんらかの信仰が生まれてきた。
精神的なよりどころがなければ人は生きていけないのだろうか?
道徳というものもある。
イデオロギーもある。
社会科学という学問分野もある。

 アメリカという最強の国家も、キリスト教の影響力は強い。
ローマ法王の影響力も絶大なものがある。
イスラム教。仏教。ヒンズー教。など。
多くの宗教がある。それぞれひとびとの社会生活に深くかかわっている。
宗教同士が争いのもとになるという不幸な事実も多く見られる。

 なにが正しいのか。正義とは?善悪とは?
好き嫌い?美醜?喜怒哀楽。快不快。生老病死。運命。
問いは無限。答えは相対的。

 価値観は絶対的ではないが、これまで生きてきた人類の歴史の蓄積はある。
経験的な価値だ。
生命の安全。表現の自由。基本的人権の保障。
おたがいにいやなことはしないようにしよう!
根拠なく負担や被害や罰を受けないようにしよう。など。
共存共栄のための工夫が作り出されてきた。

 それでも争いは起きる。戦争も発生する。災害や病気や事故も起きる。殺人や強盗や詐欺恐喝も起きる。
 見渡せば、世界中が悪の見本市だ。
だが、よく見れば、愛し合える人間もいる。信頼しあえる友人もいる。花も鳥も風も月もある。
 おいしいワインや料理もある。音楽や美術や文学。ファッション。温泉。ゴルフ。つり。パソコン。ケイタイ。交通機関。テレビや映画。マイホーム。マイカー。家族。隣人。
好ましい存在も無数にある。
悪とともに善の見本市でもある。

 そこに救いがあり、知恵もある。
生きるヒントがある。

 ところで、宗教の役割とはなんだろう?信教の自由。
熱心に神に祈る人を冒涜してはいけない。
だが、神を信じきれないひともいる。
宇宙を創った神のような存在までは否定できないひとが多いと思うが、
それはいわゆる宗教と呼ばれるものの枠を超えた存在のような気がする。
今の日本人の多くが、なんらかの宗教の熱心な信徒ではないような気がする。
あるいは、自覚していないだけで、無意識になんらかの「信仰」を持っていると見るべきだろうか?

 かりに、相対的に宗教心が薄い国民が多いとしよう。
そのことにはプラス、マイナス両面の効果がありうる。
プラス面があるとしたら、寛容性だろう。
マイナス面があるとしたら、精神的不安定性かもしれない。

 では、詩と宗教とはどういう関係にあるだろう?

 詩とイデオロギー?

 詩と価値観?

 詩と科学?

 詩は、精神の自由を確保するところに大きな価値があるとしたら、
あらゆることから自由になることに価値があるかもしれない。
だが、下手をすると、狂気の沙汰に陥るリスクもあるかもしれない。

表現は常に「リスク」を伴うということに通じるのかもしれない。

答えは、簡単に出ないだろう。

ミケランジェロの最後の審判もダビンチの最後の晩餐も宗教画だし、
バッハの受難曲もモーツァルトのレクイエムもミサ曲だ。
日本の仏像も仏教文化だ。

これまでの偉大な芸術作品は、多くが宗教と密接な関連があったことは否定できない。

では、これからの芸術はどうか?

Commented by kawazukiyoshi at 2007-12-30 19:47
壮大な構想に脱帽。
ゆっくり読ませていただきましょう。
今日もスマイル
Commented by nambara14 at 2007-12-30 21:31
 コメントありがどうございます!
 浅学非才の小生としては精一杯の論考です!
 よろしくお願いします!
by nambara14 | 2007-12-30 19:15 | 論考「価値観の研究」第一部 | Comments(2)