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「価値観の研究」(第一部)(その3)

21.野党の役割

年金法案が衆議院の本会議で強行採決されたニュースがテレビや新聞のトップニュースとなっている。

 与野党の対立。議場でもみあう与野党の議員たち。怒号がとびかう。

 これを見ると、なんだか与野党は戦争をしているように見えるかもしれない。

 しかし、今の政治の仕組みでは、すべては基本的には、役割を演じているといってよいだろう。

 仲良しの与野党などというのは本来形容矛盾である。

 対立してこそ与野党だ。激しく議論し、ときには暴力沙汰寸前にまで至る、真剣な論争・闘争が

 野党の存在理由である。

 おそらく、年金法案は内容的には、大きな対立はないように見える。だが、野党が、強い反対を示せなければ、衰退して、与党に吸収されるだろう。

 国民が、注視すべきは、与野党の対立という表面的な現象ではなく、議論の中身だ。それは、与野党を超えて検討されるべき内容だ。

 議論により、問題点が明確化され、解決の方策が見出されるというプロセスが望ましい。

 与党と野党の政策すなわち「価値観の体系」は衝突する。摩擦を起こす。

 与党の原案が野党とのぶつかりあいによってどれだけ、改善されるかに注目すべきなのだが、マスコミはそういうとらえ方はしない。

 マスコミには、事件事故や対立、紛争を優先とするという宿命があるからだ。マスコミの価値観の体系はそういう束縛のもとにあることを見抜いた上で新聞やテレビの報道をとらえる必要が国民にはあると思う。

22.発言の科学的な解釈はどこまで可能か?

これまで、「価値観」についていろいろ述べてきたが、なぜそんなことをくどくど書いているかというと、「自分」をできるだけ正確に知りたいからだ。

 だれしも、自分の与えられた環境に、意識するしないにかかわらず、制約をうけている。
 なぜ、自分はこのように考え、思い、行動するのだろう?

 それがはじめの問いである。

 保守的とか革新的とか、民主的とか強権的とか、右翼的とか左翼的とか、温和とか過激とか、利己的とか利他的とか、信心深いとか無信仰とか、猪突猛進とか冷静沈着とか、いろいろな形容詞がある。

 人種差別や優越感・劣等感、家族観、社会意識、道徳観、生きる目的、やりがい、死生観などもかなりばらつきがある。

 問題は、共存共栄できるかだ。違いがあってもおたがいを侵すことなく友好的に生きていけるかだ。

 「価値観の研究」は、そういうところから、出発したわけである。

 今回は、断片的で、恣意的で、利害関係に影響された、「発言」をどう解釈すべきかということをとりあげたい。

 たとえば、本能寺の変。明智光秀は、なぜ織田信長に反旗を翻したのだろう?

 歴史家や小説家などが、いろいろな説明を試みている。

 資料をもとに推理をしながら、自分なりのストーリーをまとめる。絶対的な真実は究明できないが。

 現在においても事情は同じである。

 評論家や学者や関係者がいろいろなできごとに対するコメンテーターとして登場する。

 犯罪ならば、警察によって逮捕され、裁判になれば、法廷であらそわれるので、真実がかなりの精度で明らかになる。

 しかし、現実には、違法行為に該当しない事案が多い。

 だれかに金銭的な援助を受けている場合の発言は基本的にはバイアスがかかると思われる。

 たとえば、広告宣伝はスポンサーからの資金提供で作られる。

 大学の先生の発言はどうか?

 比較的中立に近いことが期待される。しかし絶対ということはない。

 すると、もっとも客観的な解釈は隠れたところにあると考えたほうがよさそうだ。

 本音は、ひそかに手記に記される。あるいは、書かれずに頭の中にのみ記憶される。

 手記だって、科学的な正確性とは一致しない。ただ、真実への道への導きにはなりやすいだろう。

 以上見たように、さまざまな事実をより正確に理解するには、補完的な情報が不可欠だ。

 しかし、その補完的な情報をどのように入手し整理するべきかどうかについても、慎重に検討しなければならない。

 かように、真実への道は困難なのである。

 しかし、可能な限り、科学的な認識、科学的な解釈をしようとする姿勢と努力無しには、そちらへ近づくことはできないと思う。

 だれもが生まれながらに持っている種々の制約を一旦対象化し、その上で、できるだけ偏見のない自由で客観的なアプローチをすることがたいせつなのではないだろうか?



23.利害関係

人間が「言うこと」と「行うこと」の間に食い違いが生じる一番大きな理由は、利害関係だろう。

 いま、ドイツのハイリゲンダムでサミットが開催されているが、「各国首脳の発言をどう受け止めたらいいか?」を考えるときには、国益が基本にあると思ってよい。

 国益と国益の駆け引きである。

 地球環境問題が脚光を浴びている。

 京都議定書は、アメリカが参加していない。中国などの大国が、CO2の削減義務を負わないなどの問題を抱えている。1990年を基準に、なん%削減するか国ごとに目標を掲げ、それを2008~2012年の間に実現しようとする枠組みだ。日本は。ー6%の削減目標だ。実際には、削減どころが増加している。

 それで、開発途上国で、削減プロジェクトを実施することにより、排出権を獲得し、その分を自国の排出量から差っぴいてもらうというスキームが取り入れられている。

 おそらく、Co2削減はかんたんには行かない。生活水準にかかわることだからだ。

 それでも、科学的なアプローチにより、未来の地球を守れ!未来の人類の子孫を守れ!という大義名分のもとに、対策は講じられるだろう。資金も技術も人材も動くだろう。

 EUは積極的。日本もかなり積極的。アメリカは独自の提案をするなど、姿勢に変化が見られる。中国は総論賛成でも、具体論ははっきりしない。ロシアもようすを見ている感じだ。

 それでも、全体として、この問題に取り組もうという合意形成に至ったようだ。いろいろ事情はあっても、地球に生きる運命共同体として、世界各国は協力せざるをえないからだろう。

 利害をベースにしながらも、どこかで「正義」「人類愛」「平和」みたいな目標を共有することが望ましい。

 国家間の複雑な利害関係の中から、なにかが生み出される。それが、前向きの材料であってほしい。

 人間の英知と良心を信じきれるかどうかだ。

 できれば信じたいものだが。






























24.同性愛者の問題

アメリカの軍隊の話し。

 アメリカにはけっこう同性愛者が多いらしい。

 米軍では、The "don't ask、don't tell" policy(「聞かない、話さない」政策)というのがあって、

うやむやにすることによって、同性愛者でも軍人として勤務できるようにしている。

 ところが、最近、ある軍人が同性愛者であることを公表したところ、軍当局から解雇されたというのだ。それを軍関係者向けの新聞がとりあげたところ、メディアでの論争の火種となったそうだ。

 その後、軍当局から軍人あてに、待機命令が届いたそうだが、任期を全うするためにという説明がなされたそうだ。

 1993年にこの政策が実施されて以来、ペンタゴン(国防総省)は、約12,000人の軍人を解雇してきたという。

 最近、この問題は、大統領選の争点のひとつにもなっているそうだ。

 性にかかわる事柄は、タブー化しやすい。けれども、人間にとって、根源的な問題だ。正面から同性愛者を認めよという意見もあるだろう。イラクをはじめ多くの紛争地に軍隊を派遣しているアメリカにとっては、深刻な問題だ。

 「あいまいさ」がひとつの選択であることもある好例といえよう。

 「あいまいさ」もときには「価値観」の重要な構成要素になるということだろう。

 




25.言葉と行動

昨日のイベントでの谷川俊太郎の発言に、「言葉は現実のほんの一部しか表現できない。言葉は不完全なものだ。現実は複雑で矛盾に満ちたものだ。言葉より行動を重視すべきだ。」という趣旨のことがあった。

 昔から「不言実行」とか「有言実行」とか「言行不一致」とかいろいろ言われる。言うこととやることが一致しない場合がけっこう多いということだろう。

 「価値観の体系」を論じるとき、とりあえず、「言語表現」が重要だと述べた。と同時に、言語には策略がからんでいて、文字通り受け止めることができないこと、タブーのように表現を避けるべきこと、意図的な韜晦や誤謬、不用意な発言、能力不足による不適切な発言、など解釈が不可欠であることも述べた。さらに、発言をフォローしていき、発言者がどんな行動をしたかということを見極めて、発言と行動を比較検討する必要がある。多くの場合、言行は完全には一致しないだろう。複雑な要素がからむので、微妙なずれが生じやすいから。

 もし、「発言」と「行動」にちがいがあったときに、どちらを重視すべきだろうか?

 やはり、「行動」がそのひとの「本音」に近いと見るべきだろう。

 現実には、「発言」と「行動」は入り組んでおり、発言が行動そのものだったりもするし、不作為という事態もあったりするので、ふたつを峻別するのが困難な場合もあるだろう。

 話をわかりやすくするために単純なケースについて述べるとすれば、まさに、「行動」こそ現実としての影響力を強く持っている。

 恋愛関係にある男女を想定しよう。

 「好きだ。愛している。早く結婚して幸せな家庭を作ろう。」などといいながら、

さっぱり結婚について具体的な行動を起こさない男がいたら、それは多分、ほんとうには結婚する気がないか、少なくとも迷いがあると考えた方がいいだろう。

 国際関係にも、そういう場合が頻繁に見られる。

 以上のように「言語」と「行動」の関係は、とらえるのがむずかしいが、行動が優先するからといって、言語をみがく意味がないというわけではないと思う。あいまいな側面を強く持つことは避けられないとしても、少しでも正確に意思疎通ができるように努力することは大切なことだと思う。

 特に、言葉というのは、個人的な伝達手段ではなく、社会的なものだから、個人の努力だけでは限界がる。社会全体が、言語に対して前向きの姿勢をとることが必要だと思う。




























26.憲法改正問題

わが国にとっていま最も重要で難しい問題のひとつが憲法改正問題であることは異論がないだろう。

 賛否両論がある。無関心なひともいるかもしれない。

 賛成派の論拠は、「敗戦直後ならともかく、戦後60数年経った今日、独立国として、自国の防衛を自国の軍隊が責任をもって担うのは当然だということだろう。北朝鮮の脅威に見られるように、国家間の関係は予測できない不確実さがある。こちらが攻撃しなくても相手が攻撃してくる可能性もある。安心して暮らすためには、しっかりした国防力が必要だ。日本の防衛は、アメリカまかせではなく、まず日本の軍隊が中心の役割をにない、そのうえで、補完的に同盟関係を築くべきだ。そのためには、憲法9条を改正する必要がある。」

 反対論の根拠は、いくつかの意見にわかれるかもしれないが、「今の憲法を改正すれば、平和国家が維持しにくくなる。戦争を放棄するからこそ、日本は国際社会から信頼をえることができた。太平洋戦争の経験に照らせば、日本人は、軍事力を持てばなにをしでかすかわからない。まだまだ、成熟した国家国民ではないのだ。だから、今は現行憲法を維持して、平和国家として内外に平和を訴えていくべきだ。」
反対派の中でも、たぶん、日米安保条約については意見がわかれるだろう。「日本の安全を守るためには、日本が自衛隊以上の武力をもたない以上、アメリカの軍事力によってカバーされる必要がある。」とか、「日米安保条約があるからかえって日本は攻撃されるおそれがある。条約を破棄して、非武装中立路線で言ったほうが、むしろ安全度はますはずだ。」とか意見はわかれそうだ。

 そのほか、すこしづつ意見の細部にはバリエーションがありうるだろう。

 自分が賛成だろうと反対だろうと、影響力はほとんどないからといって、真剣に考えない人もいるだろう。

 そもそも、政治問題に関心のないひともいるかもしれない。

 いろいろな意見をもったひとが日本人のなかにもいるだろう。

 自分がどういう意見をもつかは、慎重に考えなければならない。

 こういう問題はえてして、感情的になったり、対立的になったり、誹謗中傷しあったりしやすい。

自分の家族や地域の戦争とのかかわり具合によっても、見方や立場が異なるだろう。

 みな複雑な過去をひきずり、複雑な利害関係の中で生きている。

 それだけに、この問題については、簡単な結論はでないと思われるが、政治家だけにまかせることなく、国民ひとりひとりが自分の意見をきちんともつことが大切だと思う。


























27.憲法改正問題(続)

きょうの朝日新聞の朝刊に心理学者岸田秀氏が、安倍内閣の憲法改正について、論評している記事がある。

 その論旨は、次のとおり。

「日本の歴史を、{外的自己}と{内的自己}との葛藤、交代、妥協などの歴史ととらえる。
外的自己は、外国を崇拝する自己。
内的自己は、外国を憎悪し軽蔑する誇大妄想的な自己。

戦後の日米関係は、まさに、外的自己が前面に出て、内的自己は抑圧されている。
ときどき内的自己がはけ口を求めるが、大勢に影響はない。(たとえば、牛肉問題など)

いまのような従属的な日米関係では、たとえ憲法を改正してもアメリカに都合のいい改正内容にあるおそれが強い。いまは、臥薪嘗胆に耐えるしかない。

自己欺瞞に陥ることなく、隷属的な状況から目をすらすことなく、やがてそこから抜け出すための道筋を見出すべきである。」

 以上であるが、なかなかユニークな見方だと思う。

 ぼく個人としては、賛同しかねるが、そういう見方もあるものかと思ったしだいである。













28.人間関係(その1)(恋愛関係)

人間の数だけ「価値観」があるわけだから、現実には、価値観は人間関係の中に現れてくる。
したがって、次のステップは人間関係、さらには社会関係、職場関係、国際関係などさまざまな関係をどうとらえたらいいかということが重要なテーマになる。

 まず人間関係から考えていこう。

 「人間がどんな存在であるか?」ということからはじめるべきかもしれないが、それではあまりに大きすぎるので、いくつかの典型的なパターンを想定して考えていきたい。

 ちなみに、人間の存在をとらえようとすれば、医学的なアプローチ、進化論的アプローチ、遺伝子的アプローチ、脳科学的アプローチ、心理学的アプローチなど、個々の人間についての科学的なアプローチがある。また、人間社会という集団的なとらえ方もあるだろう。ある時代の雰囲気や行動規範、政治や治安情勢や経済状態や生活水準など、人間とそれをとりまく環境を全体としてとらえる方法論もあるだろう。歴史的な推移、民族的な違い、宗教的な違い、政治体制のちがい、気候や地理的なちがい、など複雑な関係が存在する。

 民俗学的なアプローチでは、過去のさまざまな社会慣習や地域の特性など、さまざまな分野の歴史についての資料やヒアリング、現地調査等を通じてひとつのレポートをまとめる。できるだけ客観的に歴史をとらえようとする。

 社会科学は、本来科学的なアプローチが困難な分野に科学的な手法を導入しようとした。そのこころみは画期的なことだっただろう。マルクスもウェーバーもそういう意味での先駆者だったと言えるだろう。

 本来複雑な人間関係というものを、単純化して述べようとするのが、ここでの狙いである。

 だれでもわかりやすい例は、「恋愛」だろう。

 相手を好きになるとはどういうことか?

 これも、脳が感じているのだろう。

 はじめに好意を持つ。次に、それを態度に表す。相手が自分に好意を持ってくれれば関係は発展する。
そして、愛情を感じるようになれば、さらに関係は深まり、通常は肉体関係に進む。

 そのあと関係が熟成すれば同棲や結婚への道が開ける。もし、話し続けるうちに、相手の考え方に自分と違う部分が見つかり、それが重要な相違であると関係の進展はむずかしいかもしれない。また、ともに行動しているときに、そこに否定的なものを見出せば同様に危機が訪れる。たとえば、食事をするときのマナーが下品で気に入らないと気づけば幻滅するかもしれない。あるいは、約束を破ってばかりいるとか、他人に接する態度にいやな部分を見てしまうとか、さまざまな幻滅の機会はあるだろう。

 このように、ひとりの人間と接することは、心身全体で接することである。ひとつの「価値観」をもった人間が刻々と変わる現実の局面に応じてなにかを感じ判断し、行動する。それが他者とかかわる過程でさまざまな理解、好悪、快不快、利害、愛憎、別離などの感情や成り行きに結びつく。

 ひとりの人間を観察するだけでも、多くの時間と労力を要する。ましてや正確にとらえようとすればさらにエネルギーが必要だ。ここでもまた、ひとは人間関係の取捨選択を迫られる。人間関係の優先順位というものが重要なテーマとなってくる。

 きょうはここまで。














29.人間関係(その2)(職場)

人間関係にはいろいろある。前回は{恋愛関係」をとりあげた。

 今回は、職場での人間関係をとりあげたい。

 国や地方公共団体と公益法人と営利企業では人間関係がかなり異なる。

 公益を目的にする組織では、人事評価は、売り上げや利益への貢献度というような客観的な評価指標はない。

 政策立案能力、交渉力、リーダーシップ、協調性、行動力、説明能力などによって、制度をきちんと維持し、自分の組織の権限や予算、職員数、組織力の拡大に貢献した者が評価される。もちろん、上司への印象付けもたいせつかもしれない。

 営利企業では、もうけに貢献することが手っ取り早い。文句を言うひとが出にくいからだ。

 社内では、上司、同期、後輩、部門間の関係者とのじょうずな連携が求められる。

 対外的には、取引先の開発、取引先の維持拡大、企画力、プレゼンテーション能力、もうかる仕事の獲得などが求めらる。

 なんといっても、利益の追求が最優先。国民全体のために貢献する、などと考える余裕はなかなかない。

 自営業や個人事業者以外は、勤務先での仕事や地位、収入がすべてだ。やりがいのある仕事と十分な収入。それが両立できたら理想だ。

 社長やトップの地位に就けば、考えるべきことや行動するべきことが、一般の社員とは自ずから異なってくる。結局、組織人は、組織の目的にそったかたちで行動すことが求められる。

 個人は、組織の中で、なにを求めるかを自覚し、立身出世、高収入、仕事のやりがい、などのなにを優先したいかを明確に意識していかに振舞うべきかを決めるべきだろう。

 結果的に成功するかどうかはわからない。ただ、目的意識を持つか持たないかで先行きに差が出てくることは容易に想像できる。

 大学や研究所などは教育や研究機関として、存在理由があるので、そういう観点からの評価が優先するだろう。経営的な要素もあるが、自分がそこでどういう地位にあり今後どんな地位を目指しうるかをきちんと踏まえておくことはムダではない。研究部門でいい結果を出すか?それとも、事務局のなかで生きていくか、など。


 繰り返すが、組織の中での人間関係は、基本的には、組織の存在理由にそってどれだけ成果を出せるかどうか、成果を上げたらそれをどうアピールするかが重要だ。その際、自分が正しいと思ったことは勇気を持って主張し、説得に努めるが、うまくいかないときは辛抱して次の機会をうかがうことが賢明だろう。上司には敬意を表し、同僚にはできるだけ、にこやかに接し、マナーをたいせつにすることも大切だと思う。

 自分でできるだけのことをして、あとは人事権を持つものの判断待ちということだろう。

 基本的には、人間関係は重要だが、成功や栄達には、運任せという部分もけっこう大きいかもしれない。

















30.人間関係(その3)(家庭)

人間関係の基本は、親子であり、家庭だろう。

 だれも、「生まれる」のであって、選択権はない。芥川の「河童」
とはちがうのである。
 
 気がつけば「この世にいた」のだ。

 幼児体験はどう見ても人格形成に大きな影響を与える。

 きちんとした親がいてきちんとした家庭があって、きちんとした育てられ方をすればかなりの割合で
きちんとした子供が育つ。やがてきちんとしたおとなになる。

 きちんとした子供や大人の割合が少ないということは、とりあえず家庭に問題があると疑うことができる。

 ある程度の収入、栄養を考えた食生活や、清潔な部屋、明るい会話、両親の信頼関係などがあれば、基本的には問題ない。

 もちろん、先天的な資質ややむをえない病気や事故や離婚等の事情できちんと自立できる人間になれないことはありうる。

 家庭内のしつけがきちんとできていないとあいさつもできないこどもがふえる。思いやりのない子供が増える。エチケットやマナーをわきまえないこどもがふえる。

 逆に、成人した人間は、自分の両親や家庭環境を振り返ってみるといいかもしれない。自分の価値観に及ぼしたであろう親の価値観!それを冷静に客観的にレビューするのは無駄ではないと思う。

by nambara14 | 2007-12-30 19:02 | 論考「価値観の研究」第一部 | Comments(0)