最近の詩集評(13)
2018年 06月 10日谷口典子詩集『刀利』。亡くなった夫のことを書いた詩作品が並ぶ。故人を忍ぶ詩なら珍しくないが、この詩集はもっと生と死を突き詰める鋭い視線がただならぬ気配を感じさせる。「刀利」は夫の故郷だそうだが、その語感も緊張感を与える。「添い寝」は、男女の愛を問い直す怖い程の重厚さに満ちている。 山本萠詩集『寒い駅で』。人、虫、草、花梨、蜂蜜など多くの動植物や静物が細かく観察されるとともに、それらを配した家、庭、駅、川などの情景が丁寧に描写される。命あるものが必ず失われていくのだという溢れる思いが言葉をたぐりよせ、また、言葉が生きとし生けるものを悲しくも美しく描き出す。
北見俊一詩集『S・Iへの私信』『わたしは一本の河を』『自転車にのるひとの脚の素描』『人魚姫』。一挙4冊刊行(箱入)。北見は、詩人であるだけでなく水仁舎の社主でもあり、造本家の本領を発揮した瀟洒な手作りの詩集は、17歳から30歳前後までに書かれた詩篇を収録したものだ。自己を見つめ、他者へ語り掛ける言葉が、独自の詩世界を作り上げている。この時期に過去の詩をまとめて刊行したのはそれなりの理由と決意があったのだと推測する。北見の今後の一層の活躍が楽しみだ。
池田康詩集『エチュード四肆舞』。4行4連の詩ばかりで構成されたエスプリとユーモアに満ちた詩集。壱弐参肆4つの各パートには12篇の詩が収録。こだわりに溢れたスタイルの中に、人生や社会への鋭い洞察が深いポエジーと洗練された言語技術を駆使して描かれる。「淋しい遊びに揺れる/童の影」(参ⅵ)。 長嶋南子詩集『家があった』。罪のない嘘からブラックユーモアまで読者を笑わせとりこにする手練手管に満ちた詩集。生きることと死ぬことにだれしも翻弄されるが、苦しみや悲しみや淋しさもこの著者にかかると笑いに一変する。スピード感があり意外性に満ちた展開。言葉の魔術師の手腕に魅了される。 ヴェチェスラウ・クプリヤノフ&武西良和著『鉄の二重奏』。「鉄」という共通のテーマでロシアと日本の詩人が「響き合う東西詩人:詩的対話」と題して一冊の詩集を刊行した。前半は日本語、後半は英語の詩集となっており、前例を見ない意欲的な詩集の構成が硬質な内容と相まって高い効果をあげている。
小川三郎詩集『あかむらさき』。雑然とした現実世界を特殊な装置でろ過することで得られるのは普段は隠されている人間の感情のありのままの姿だ。人間社会の根底にある不条理が単純化されて描かれる情景は読者に真実を突き付けて恐ろしいまでだがどこかユーモラスなタッチと精密な技巧が救いを与える。
望月苑巳詩集『クリムトのような抱擁』。古典から現代に及ぶ文学、美術、音楽等の幅広い教養が上質の熟成したワインのような香りを放つ詩篇に結実した。紫式部や定家を描く技法も見事だが、さまざまに描かれた「抱擁」こそ、紛争の絶えない世界へのスキンシップの提起として本詩集の白眉をなしている。 今鹿仙詩集『永遠にあかない缶詰として棚に並ぶ』。バッハ、ジャコメッティ、子規など芸術家名の引用、歴史意識、デブリ―、子供のころの思い出、日常の様々な情景、言葉遊びなど、直感に任せて選ばれた詩句の不連続性の齎す意外な危うさと巧妙な語り口が、とんがり効果と独特の魅力を生み出している。 松尾真由美詩集『雫たちのパヴァーヌ』。研ぎ澄まされたきわめて繊細な感覚が見るもの聞くもの触れるものは濾過されプリズムを通して小さな標本のようになり、それらが更に精密な言葉によってプレパラートに載せられる。とことんまで凝縮された表現でありながらなぜか生きるものの生の声が聞こえる。
志村喜代子詩集「後の淵」。だれにも別れは訪れる。詩人にはその悲しみをいかに突き放して言葉にできるかが問われる。息をのむような切迫した現実がたしかな表現技術によって詩に昇華される。苛酷なまでの生き死にに接してなお「いちぶ始終を見たい」という生への執着が、「後の淵」へと通じている。 新延拳集『虫を飼い慣らす男の告白』。大人になっても少年の心を失わず豊かに飛翔する想像力が、大人のメルヘンを紡ぎ出す。時間感覚や身体感覚のずれを自覚するところから「虫を飼い慣らす男」が生まれ出て楽しい物語を作るが、国鉄マンとしての経験も添えられて確かなリアリティーも感じられる。
小林稔詩集『一瞬と永遠』。生きとし生けるものの儚さを感じるとき、それが言葉で書き記すことで永遠になると信じて、ギリシア的な趣のある薫り高い詩のタペストリーがいくつも織り出される。ヨーロッパの各地の風景や出会った人々、音楽、彫刻、アスリート等が永遠への祈りに満ちて美しく描かれる。
尾久守侑詩集『ASAPさみしくないよ』。なにげない日常にひそむ暗闇を静かなタッチでさまざまに描き出す。熱狂や興奮や絶叫を抑えてはいるが、どこかに希薄な存在の不安が影を落とす。都市や校舎やスタジオなど演劇的な展開の中に、時を超え人を超えた匿名性の強いジュブナイルがひそかな憧れをさぐる。
高田昭子詩集『胴吹き桜』。1946年秋2歳の時に満州から引き揚げてきた著者の戦後70年の軌跡を辿る。軍属だった父や母や叔母などから聞いた戦地での経験などを丁寧にまとめた自分史は、静かに平和を祈る心と次の世代に語り継ぐ使命感とを通じて、人類の歴史の貴重な記録となり読者に深い感動を与える。
by nambara14
| 2018-06-10 19:03
| 詩集・詩誌評等
|
Comments(0)