最近の詩集評(11)
2017年 03月 06日紫圭子詩集『豊玉姫』。対馬の和多都美神社に祀られる豊玉姫と山幸彦は古事記に登場するそうだが、二人の愛の物語が、著者が訪れて聲を奉納した現在の対馬の情景と重なって生き生きと蘇る。ギリシャ神話の神々さえメタモルフォーシスにより豊玉姫と山幸彦と重なっていっそう雄大だ。「遠く離れた場所へ/ひとの思いは飛び火する/神話から/現実へ/精神感応の扉は開かれるのだ/わたくしの体をめぐる血のざわめき」(「デーメーテル、豊玉姫」部分)
細田傳造詩集『かまきりすいこまれた』。なにげない日常の風景はいつのまにか怖い想像の世界に飛躍する。気骨がありユーモアもあり独特の発想をする老人の視点から観察し感じたことを実に軽妙に的確に面白く表現する。冴えわたった詩的感性や意表をついた言葉の使い方に読者は我知らずすいこまれる。
広田修詩集『vary』。哲学的なアプローチとさまざまな技法を用いながら細部にまで詩の表現を徹底させたいという意識と情熱を感じさせる意欲的な詩集。特に、機知に富んだ11の短い詩篇から成る「神話」は印象的だ。(たとえば「昔、とても謙虚な男がいた。……こうして綱渡りが生まれた。」など)
紀の﨑茜エッセー集『うたの森』。詩や俳句とのかかわりを、実作者としてまた読者としての長い経験を踏まえて、しみじみと語る。戦争に係る記事も多いが、決してヒステリックにならずに冷静に事実を見つめる視線が共感を呼ぶ。特に、軍人だった父の負傷についての顛末は切々とした訴えに満ちている。
壱岐梢詩集『一粒の』。肉親(特に母)を亡くした思いを見つめて丁寧に言葉にしていく姿勢が真剣であるので、読者もまた思わず心を重ねてしまう。亡くなった父が半分だけ食べたバニラアイスのカップが冷蔵庫に残っているのを母と見つめるようすは感動的だ(「見つめる」)。「卵が落ちた」も魅力的だ。
中井ひさ子詩集『渡邊坂』。とてもやわらかいタッチの言葉遣いの中から日常のさまざまな情景やひとびととの思い出が浮かび上がる。思いと言葉のギャップがなつかしさや寂しさを呼び起こすが、照れくささがユーモラスな表現をもたらす。やさしさに満ちた視線が、人だけでなく、動植物などにも注がれる。
日原正彦詩集『瞬間の王』。日常のなにげない経験や出来事や情景や思いや出会いがさまざまな問いかけにつながる。現実が言葉と呼応するが、言葉は自立して現実を重層化する。自分をとりまく世界を見つめるとすべてはよくわからないことがわかる。「生」とは深い謎だ。瞬間の王が全てを統べている。
吉田義昭詩集『結晶体』。空を見ても大地を見ても海を見ても科学的な見方をする著者が年齢を重ねて人生論といった観点にも重点をおくようになってきた。全体に落ち着いた調子で著者自身の経験や思いが語られるが、その陰には妻を亡くした悲しみが通奏低音のように奏でられていて思わず胸が苦しくなる。
たなかあきみつ詩集『アンフォルム群』。恐るべく豊富な語彙と横溢し重層化するイメージ。文学、美術、写真、音楽等あらゆるジャンルからの夥しい引用。新聞記事などもないまぜになった複雑な構造の文体を読み解くのは容易ではないが、ある種マニアックで意外性に満ちた展開は独特の魅力を持っている。
吉田隶平詩集『この世の冬桜』。余分な力が抜けて、観察した情景や思いがそのまま言葉に変化しているところに、人生経験の深さと言語表現の妙が感じられる。年齢が高くなっても悟りは開けず、生へのいとおしさと死への恐怖が、箴言のようなつぶやきとして生まれてくる詩のありように強い共感を覚える。
現代詩文庫238『三井喬子詩集』。9冊の詩集からの抜粋。エッセイ。詩人論・作品論。詩表現の多様性と困難性を熟知したうえでとことん実験的な言葉の使い方に挑戦し続けたことがよくわかる。一見すると屈折した表現が多いが、よく読むとその中に潜む人生への深い洞察とやさしい心情が見て取れる。
橋本シオン詩集『これがわたしのふつうです』。「鉄塔の周りで生きた私と、鉄塔のない東京で生きる私の分裂」「泣きながら書いた」「想像のできない二十八歳になるための、私の東京のお作法で、十七歳の私を墓に埋めるための、ひとつの儀式の、詩集なのかもしれない」。心の叫びに耳を傾けるだけだ。
武西良和詩集『忍者』。23篇の日本語の詩とその英訳とからなる詩集。猫や蜘蛛などの動物が簡潔にユーモアたっぷりに描かれる詩篇はしゃれているし、著者の観察眼の鋭さが読み取れる。『Ninja』というタイトルも内容にぴったりしているし、自ら英訳した努力にも敬服を表したい。お勧めの一冊だ。
広瀬大志詩集『魔笛』。伝説や神話や歴史や映画など物語への連想に満ちた詩篇、そして物語の中に人間の生と死を追求する詩篇、さらには言葉の音楽性を追求した詩篇など、貪欲に新たな詩表現を求める試みが様々な形で現れ、それぞれがまた新たな詩想の展開を期待させる大いなる可能性に満ちた詩集だ。
水田安則詩集『八月の家族』。どの詩にもぴりっとするような緊張感とある種の虚無感が漂っている。家族の持つ意味は大きいが、この詩集では父と母、とりわけ亡くなった父のことがくりかえし語られる。いかにも幸福そうな家族像とは異なるのが現実の家族の姿なのだろう。家族の意味を考え直させられる詩集だ。
マーサ・ナカムラ詩集『狸の匣』。恐るべき詩人の登場だ。一見民話風の詩篇は、素朴というより洗練された技巧が凝らされ、単なるお話というより人間の生や死を歴史的に展望するために最も効果的な仕掛けとなっている。非凡なユーモア感覚の持ち主は、人間社会に潜む多くの悲しみや苦しみを見逃さない。