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「価値観の研究」第三部その7


42.『 一億人のための人生読本 』(構想)

 1.死というものをいかにとらえるべきかということを考えてみたら、生をいかにとらえるべきかという問題と切り離せないことが分かった。

 そこで、「人間の一生とはなにか?」というテキストを準備する試みをしてみた。ほんの概要だけだが、これまでにあまりなされた例がないと思う。「倫理社会」といった教科でも一部はとりあげられるかもしれないが、とにかく偏見のない立場から、人間の一生というものを総合的にとらえようとする書物はいまだあらわされたことがないのではないだろうか?

2.「人生読本」というのは古臭い言い方かもしれないが、わかりやすいとも思う。
 骨子みたいなものは一応書いてみたが、各論を肉付けするのは一人の手に余る。
 自然科学、社会科学その他多くの分野の専門家が分担して執筆することが望まれる。
 たとえば、妊娠から誕生をへて成長するステップは医学の専門家でないと正確にはかけない。
 婚約、結婚、親子関係、親族、相続などの法律的な問題は、法律の専門家が望まれるし、進学、就職、などもそれぞれの専門家に解説をしてもらうのが得策だ。
 とくに難しいのは、「人間はいかに生きるべきか?」といった哲学的テーマかもしれない。かたよらない記述をすることも困難な仕事だと思う。

3.おそらく、意外とおもしろいのは、職業のバラエティかもしれない。趣味とかスポーツとか旅行とか、いかにも楽しそうな過ごし方があるけれども、人間は職業生活の中に本気で時間を過ごす充実感を感じる場合が少なくないような気もする。もちろん、戦争や事故や災害への対応など、楽しむ余裕などないような職業生活もあるとは思うけれども。

4.いずれにしても、人間の一生を総合的体系的にとらえた教科書のようなものが国民ひとりひとりが所有し読まれるようになるといいと思う。企画から出版までの手間暇と費用をどうするかという問題が解決される必要があるが、とりあえずは、学校用の教材としてまとめるというのも現実的な方法かもしれないが、それも、文科省や教育委員会や学校関係者や父兄や児童生徒が納得しなければ実現はできないだろう。
 わたしひとりの夢みたいなものかもしれないが、そんなことを考える昨今である。 

43.『 犯罪等に巻き込まれた場合の対処法 』

1.だれしも身に覚えのないことで言いがかりを付けられたり、事故にまきこまれて不当な要求を受けたりすることがある。
 損害賠償や刑事事件になれば、弁護士など法律の専門家に相談するのがベストの選択だと思うが、時間と費用がかかるので、しょっちゅう相談するわけにもいかないだろう。
 そこで、さまざまな事件や事故に遭遇したときにどのように対処したらいいかについて、頭の整理をしておこう。

2.犯罪の場合は、典型的なのが、「おれおれ詐欺」だろう。さまざまな注意事項があちこちで提供されているのでそちらを見てもらえばいいと思う。
 犯罪の中でも、詐欺や恐喝は特に注意が必要だろう。なぜならプロの犯罪集団が組織的に素人を狙ってくるので防ぐのが困難な場合があるからである。
 こういうケースでは、まず、知らない人間は信用しないことである。
 次いで、なにを言われても、その場で結論を出さないことである。冷静に考える時間を持つことが重要である。
 そして、多くの場合は、金目当てなので、人道主義や正義や人助けなど立派な大義名分を並べられても、驚かないことがたいせつである。
 うかつに自分の個人情報を知らせるのは避けるべきである。
 住所や電話番号や職業や勤務先や家族構成など、可能な限り知られないように注意すべきである。
 不幸にして、相手に個人情報が知られて、いろいろな言いがかりや脅迫を受けても、決して金を渡してはいけない。一度渡してしまえば、繰り返し要求されるからである。
 どうしても断りきれないときは、迷わず警察に届けるべきである。
 トラブルに介入して利益を得ようとする集団はたしかに存在する。
 そういうことを念頭に置いておいて、普段から慎重に行動することが必要である。

3。多くのひとびとはまともな範囲に入ると言えるが、世の中には犯罪や事故を金儲けのチャンスととらえて罪のないひとびとにつけいる悪者もいる。性悪説の立場に立つかどうかは別として、人間が日々生活を送っていくには予想外の事件や事故に
巻き込まれることがあるのは、残念ながら現実である。
 さまざまな事件・事故のケースを想定した対処法を学んでおくことはいざと言うときに役に立つものと思われる。 

44.『 接し方 』
                                    
 人間は複雑怪奇であるが、ある程度の性向はつかめる。たとえば、どんなふうに接すれば前向きに受け入れてもらいやすいかどうかというようなことである。
 批判的な口調で、「いつも遅刻してくるのはけしからん。今度こそ時間を守れよ」と言われたら、「事情も知らずに一方的に非難するって理不尽だ。やる気がなくなる」ということになりかねないが、「いいんだ、いいんだ。でも、どうしても時間前に来なくちゃいけないときは頼むよね」とか言われれば、「悪かった。もう遅刻しないようにしよう」という気になりやすいだろう。
 あるいは、「またミスをしたな。何度言っても治らない。どうしようもない。おまえみたなのはいらないよ」とか露骨に叱られれば、「だれだってミスはする。自分のミスは棚に上げて一方的に叱りつけるのは納得がいかない。もう協力してやらないぞ」と思うだろう。しかし、「ここのところこうしたらどうかな?それでよければ直しといてくれる?」と言われれば、「あ、そうか。単純ミスだ。こんなミスはもうしないように気を付けよう」と思うだろう。
 また、「ちょっとお願いがあるんですけど、聞いてもらえますか?実は、今度この町内の住民有志で街をきれいにする活動をすることになったので、お時間があればお手伝い願えますか?」と言うような誘われ方をすれば考えてみようという気になるかもしれないが、「今度この町内の住民有志で街をきれいにする活動をすることになったので、各家庭最低一人は参加してくださいね」というふうに言われれば、反発を感じる度合いも増すだろう。
 どんなふうにアプローチしても断られる場合もあるだろうが、明らかにアプローチの仕方が悪くてひとの気持を否定的にさせるケースも少なくないと思う。
 相手の性格や考え方を可能な限り考慮して、そのときの状況や気持ちを察して、タイミングよく話を持ちかければ、オーケーしてくれる可能性は高まると思う。
 心理学など人間の気持ちや行動を学問的に分析する知見もあるが、多くの場合は、個人の経験や知識を踏まえた「接し方」が大きなカギとなっているような気がする。
 人間関係において、さらにはもっと大きな組織対組織の関係においても、接し方の工夫というのは意外と重要な要素だという気がする。
 
45.『 価値観の整合性について 』

1.価値観はひとそれぞれだが、あるひとの価値観は論理的に整合性のある
価値観だろうか?それともさまざまな矛盾をはらんでいるものだろうか?
厳密に言えば、完全に整合がとれているはずがないが、おおむねひとつ
の方向性を持っているから「価値観」というとらえ方ができるのだと思う。

2.わかりやすくするために、保守と革新という対比をしてみよう。
 典型的な「保守」のイメージは、「国家の安全をたいせつにし、ひとびとの人権を尊重し、可能な限り自由競争のもとで経済活動その他の社会活動を行い、社会弱者を救済し、豊かで充実した人生を送りうる国家社会を目指す」のに対して、
 典型的な「革新」は、「国家権力による規制をできるだけ抑制し、勤労者等立場の弱い者の保護を充実することを重点に政治経済社会活動を展開することにより、国民生活の安定を図り、平等で格差の少ない国家社会を目指す」ということになるだろう。

3.各人が日々の生活において、どのような判断をし、行動をとるかは理論
 通りにはいかないわけだが、たとえば、選挙において保守党に投票した個人が、その主要な政策について真っ向から反対するとしたら、矛盾した行動だと言えるだろう。(日米安全保障条約、原発再稼働、消費税引き上げ等についての賛否とか)

4.価値観についてひとそれぞれに違いがあることは当然であり、その違い
を相互に認めながらいかにうまく社会を営んでいけるかが重要な課題であると思うが、価値観に整合性のない人物をいかにとらえて、いかに接するべきかというのは悩ましい問題である。精神的な病気という診断を受けている人物ならそれはそれで対応する方向が見いだせるだろうが、そうではない場合は、どうしたらよいだろうか?結論はかんたんには出ない。

5.自分の付き合いの範囲でもそういうタイプの人物がいるので、このよ
うなテーマをとりあげてみた。引き続き、対処法について考えてみたいと
思っているが、なにかよい知恵はないものだろうか?

46.『 価値観の変更について 』

1.価値観はひとそれぞれであり、それら異なった価値観を持つ者同士がい
かに共存共栄できるか、が重要なテーマであると思うが、ひとつ考えておく
べきこととして、価値観の変更ということがあると思われる。

2.かつて転向が問題とされたことがあるが、そのような思想的な意味合い
だけではなしに、日常におけるさまざまな事柄についても意見が変わるとい
うことがある。
たとえば、きのうまでご飯が好きだったのに今日になってパンが好きだと言ったり、派手な色の服は嫌いだと言っていたのに急に原色の服を着るようになったり、演歌の大ファンだったのがクラシックの愛好家に変わったり、飛行機に乗るのが怖いと言っていたのが喜んで乗るようになったり、保守的な政党から革新的な政党を支持するようになったり、ゴルフ嫌いがゴルフきちがいになったり、恋愛結婚した相手を嫌いになったり、約束をすぐ破ったり、さまざまなレベルで好き嫌いや賛否が変化することがある。

3.はたして、そのような変化をどうとらえたらよいのだろうか?
 おそらく個人レベルでの変化は特段問題とする必要はないだろう。だが、な
んらかの責任ある立場での変化であると事情は異なるだろう。
 たとえば、食べ物や着るものや趣味が変わるのは別に他人に迷惑はかけな
いので責任追及の必要はないのに対して、金品をプレゼントするとかだれか
に紹介するとかの約束を反故にされるのにはクレームをつけてもいいと思わ
れる。宗教を突然変えて冠婚葬祭の流儀が変わるのには大きな抵抗が予想さ
れるだろうし、思想信条が大きく変われば周りは戸惑うだろう。
 組織の幹部が経営や運営方針をころころ変えれば組織の内外の信用を失うことになるだろう。
 契約内容にしたがった行為を怠れば契約不履行を問われるだろうし、損害賠償を請求されるだろう。

4.個人の価値観は通常は大きく変化しないと考えられるが、実際には、ほ
とんど変わらない場合から大幅に変わる場合まで、さまざまな場合があると
見たほうがよいだろう。
 そもそも人間は右翼だとか左翼だとか誠実だとか不誠実だとか賢いとか愚かだとか単純にレッテルを貼れるものではないのではないだろうか?日々気分次第でなにかを選択しているという側面もあるという気がする。
 そう考えると、「価値観」というのは、論理的で整合性のある体系として形成されるというよりは、考え方や行動のおおよその傾向としてとらえたほうがベターかもしれない。
価値観を、矛盾や変更を孕んだ思考や行動の傾向というふうにとらえれば、価値観の変更についていたずらに厳しい批判を浴びせる必要もなくなるし、現実の人間の価値観に近いものとなるだろう。
もちろん、価値観は可能な限り論理的で整合性がとれているべきであるという見方を否定する必要はないし、自分の価値観を磨き続けるという姿勢をとることを慫慂すべきであることに変わりはない。 
 
47.『 良識ある人 』  

1.世の中では日々なにかしらの事件事故が起きる。個人レベルでもいろいろな出来事が発生する。その都度なんらかの 状況判断と行動を求められる。自分が信頼できる判断と行動をする人間がいると頼もしく思える。

2.社会にはさまざまなレベルの判断と行動が混在している。
  たとえば、自分自身の日常生活でのこまごまとした事柄、家族にかかわるさまざまな事柄、隣近所との関係、学校や会社に おける行動、買い物に係わる決断など自分に身近な事柄から、テレビや新聞で報じられる事柄に対する自分なりの見方などある 程度以上自分と距離がある事柄まで、千差万別の判断と行動がありうるが、それらのかなりのパーセンテージにおいて的確な判 断であり行動であると認められる人物がいれば安心だろう。

3.特に、重要で判断が困難な問題について明確なアプローチの仕方を示してくれるような人物は、社会的な意味でも重要な 役割を果たしていると言えると思う。
  たとえば、安全保障、原発、防災、環境保護、社会保障、経済成長、財政金融、教育研究、その他国家的な課題についてなら、賢明な政治家や行政官、有識者、経営者、などに期待が寄せられるし、研究開発なら研究者や学者に、進路指導なら学校の先生や先輩や家族などに、病気なら医師に、法律的なトラブルなら弁護士などの専門家に、住宅を取得するなら不動産屋に、買い物をするならデパートや専門店などの売り場の店員に、その他さまざまなケースについて知識や経験や利害関係を有する人物が 期待されるだろう。

4.ある事柄について、さまざまな意見がありうるわけだが、先入観なしに現実を見つめて客観的な立場に立つことに努めて、可能な限り中立的な立場から結論を出そうとする姿勢を持つような人物を尊重することが大切だと思う。

5.マスコミをはじめとして、世の中には、批判的な言説を繰り広げることが存在理由である立場もあるので、中立的な立場の人物を見つけることはなかなか容易ではないが、丁寧に探していると、有名無名を問わず、世の中には信頼に足る見方ができるレベルの人材はたしかに見いだせると感じる。
  しばしば、過激なアジテーターに世論は振り回されがちだが、人々は、常に冷静に客観的に中立的に論理的に利害関係や好き嫌いの感情を離れて、物事を観察し判断し行動する態度こそ求められているのではないだろうか?
  そういう人物こそ『良識のある人』と呼びたいと思う。

48.『 結婚について 』

1.最近、結婚しないひとが増えていると言われる。統計的な数字もあるが、たしかに、自分の身の回りでも、娘が結婚しないで家にいるという話はよく耳にする。どうしてなのだろうか?

2.ひとそれぞれの事情があるだろうから、一概にこうだとは言い切れないと思うが、一応考えられる理由を挙げれば、

①経済的に自立しているので気の進まない結婚はしなくてもいい。
②結婚しないことへの社会的なプレッシャーが従来より弱まった。
③仕事が忙しく結婚する余裕がない。
④昔のようなお見合いの制度がなくなって、相手を見つける機会が減った。
⑤自由恋愛から結婚にこぎつけるのが一般化しているが、恋愛に対する考え方や、セックスのとらえ方や、恋愛への積極性の程度等にばらつきがある。
⑥仕事以外の生活にも楽しみの選択肢が増えて結婚への切実な欲求が小さくなった。
⑦低所得や不安定な職業についている者が多く、結婚生活が成り立ちにくい。
⑧社会的な風潮として、恋愛や結婚にがつがつしたくないという者がふえた。(いわゆる草食系)
⑨結婚にしばられたくないという自由志向の者がふえている。

などが考えられる。

3.人口減が懸念されており、出生率を高めるべきだという指摘もあり、そのためには恋愛のきっかけづくりの支援や結婚促進策などの公的な施策も講じられつつあるが、結婚は本来当事者の自由意思で決められるべきものであって、外的な誘導というのはいかがなものであろうか?
それはともかく、結婚は法的な位置づけも厳然としてある。
民法でも、婚姻に関する規定があり、税金や社会保険など公的な制度は結婚したカップルを法的に特別な関係ととらえている。子供もの取扱いについてもまた、嫡出子とか非嫡出子というように婚姻関係にあるかないかで差を設けている。
最近、婚姻届が出されていなくても、事実上婚姻関係と同様な関係にあるカップルについて、婚姻関係に準じた取り扱いをしようとする流れもあるようだが、社会の変化と法的な対応はこれまでも常に後追い処置であり、妥協の産物であってきたので、これからもそのような推移が予想される。先進国では、婚姻届の有無に関係なしに、公的な取扱いに差を設けていない国もあるようだが、日本はなかなかそうはならないような気がする。

4.結婚は、多くの人の人生にとって最重要事であると言えるだろう。
できれば、いい相手と出会い、結婚し、子供をもうけ、末永く結婚生活を続けられるのが幸せだと言えるだろう。
その意味で、結婚について、冷静に考え学ぶ機会があってしかるべきだろう。
多くのひとびとはこれまで、自分の力に加えて、いろいろなひとの支援を受けながら、良縁を見つけてきた。これからも、自力に加えて、社会的にバックアップする仕組みが整備されることは有意義だと思う。
結婚相談所とか出会いサイトとか出会いを促進する場はあるにはあるが、もっと効果的な仕組みや基礎的な情報を提供する仕組みがあってもいいような気がする。
人間はだれでも一組の男女から生まれるという基本を忘れずに、結婚を考えたいものだと思う。

49.『 理性と感情について 』
                          
1.人間は、他の動物に比べて脳の発達が著しい。知的な要素が格段に発達している。脳幹というような動物的な本能をつかさどる部位に加えて皮質といった知性をつかさどる部位があって、人間に複雑な思考や行動を可能とさせている。

2.人間関係の難しさは、そうした脳の構造と機能によるものと考えてよいだろう。「論理的には了解しても、感情的に反発する」「頭ではわかっても、気持ちが納得しない」「いい人だとは思うが、好きにはなれない」というような人間の心理はしばしば観察される。

3.「分析と総合」と言うように、いくら人間の臓器を細分して調べても、全体として人間の身体が機能していることを離れては有効な研究にはならないわけである。理性や知性と本能や感情とはひとりの人間のいろいろな働きを分類したものであって、実際には不可分のものかもしれない。

4.仕事上の人間関係なら、感情をコントロールしながら、業務のために論理的な行動をしようという約束があるわけだが、個人的な付き合いとなると、そういうルールはない。
 友人関係も馬の合う同士が親しくなったりなにかのきっかけで離れたりもする。
 恋愛関係ともなれば、好き嫌いとか愛憎といった微妙な分野に係わるので、さらにややこしい側面がる。

5.結婚は、恋愛結婚、見合い結婚、親が決めた結婚、政略結婚など歴史的、地理的、社会的な相違や推移によってさまざまな形態が存在してきた。
恋愛結婚についてみると、好き嫌いというような不安定な感情をもとに結婚という法的社会的関係を固定させるというところに、元来危うさが内在しているとも言える。

6.結婚する際に考えておくべきなのは、一時の感情で結婚したとして、永遠に愛し続ける保証などどこにもないのだから、愛情が失われたら、どうするのかをある程度覚悟しておく必要があるだろうということである。子供ができていればなおさら問題は深刻である。子供のために離婚は思いとどまるのか、離婚せざるを得ないのか、あらかじめ決めておくことは難しくても、そういう選択を迫られることがありうるということは考えておくべきだろう。

7.以上、最悪のケースを想定して話をしたが、現実には、多くの夫婦が子供とともに幸せな家族生活を送っているのも事実である。いろいろな可能性を念頭に置きながら、決断をすることになるが、先のことはなかなか見通せないので、なにか起きたときにその都度よく考えて行動するということしかありえないのかもしれない。それが、理性と感情という矛盾に満ちた機能を負わされた人間の宿命なのかもしれないが、だからと言っていたずらに悲観する必要もない。ちょっとした気の持ちようで人間の気持ちは明るくも暗くもなり得るのだから。
 
50.『 希望 』

1.人間についてさまざまなことが研究され解明されたことも多いがまだまだ未解明のことも多い。そういう不完全さは人間につきまとう永遠の条件だろうから、あいまいな情報に基づいて自分のかけがえのない人生を送っていくのが人間の宿命である。理屈でわからないことは、わからないままにしておくか、経験的な情報を参考にして一応の判断をするしかないだろう。

2.人間の一生は、気が付いたときは生まれていて、死ぬまで否応なく生きざるを得ないというものだ。
生きがいは生まれながらに与えられることはなく、自分で見つけ出すしかないものだろう。
人生には多くの艱難辛苦が待っているが、汝を玉にしてくれて、生きる歓びを与えてもくれるだろう。
喜怒哀楽,人間万事塞翁が馬、生老病死、禍福はあざなえる縄のごとし、等々の言葉によく表されているように、人生は悲観するだけでもないようだ。
いろいろな境遇や立場の人間がいるが、それぞれの状況に応じた「希望」というものがあればいいと思う。

3.たとえば、事故で身体に重い障害を抱えているひと、末期がん患者など重い病気で死期が近づいている人、様々な事情で路上生活を余儀なくされている人、わけあって死刑判決を受けて服役中の囚人、などなかなか希望を見出しにくい状況に置かれた人々もいるが、そういう人々にもなんらかのきっかけで希望が持てたらいいと思うし、それほど深刻な悩みを抱えていない人々であっても、うつ状態になって、前途を悲観するということはあるだろうから、そういう苦しみから解放されて希望を持つヒントでも与えられれば救われるだろう。

4.残念ながら、小生は精神科の医師でもないし、宗教者でもないので、「希望」を持つ方法を示すことはできない。ただ、ひとつだけ、言えるとしたら、「希望」は自分ひとりだけでは見いだせないということである。希望は、他者との関係においてしか生まれてこないものだと経験的に思う。不完全で欠点も多く持っている人間だが、そういう人間同士が触れ合うことによって、喜びの感情は生まれるし希望も湧いてくると思う。よくもわるくも人間は社会的な存在であり、動物であるから、人と人とが接し合って脳を十分に機能させることで心身のバランスを維持できる性質を持っているように見える。

5.要するに、人間が「希望」を持ち続ける秘訣は、他人と付き合うことにこそあるということではないだろうか?








by nambara14 | 2015-05-23 19:30 | 論考「価値観の研究」第三部 | Comments(0)