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詩集「思い出せない日の翌日」あとがき


      詩集「思い出せない日の翌日」のあとがきです。

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 中学生の頃から日記を付け続けている。はじめはその日の出来事だけでなく思ったことなども詳しく記していたが、次第に事務的な内容になり分量もきわめて短いものになってきている。何十年分もの日記帳は多くが大学ノートに書き付けたものだったが、二、三年前、それらをすべて廃棄処分にした。還暦を過ぎて自分の心境になにか変化が訪れたのかもしれない。発表するために書いたものではない文章は自分の判断で処分してしまうべきだろうという考えを持つに至ったからかもしれない。

 古来、日記文学と言われる文学のジャンルがあるようだが、はたしてそれらの日記は秘密にしておくべき内容を綴ったのだろうか、それとも他者に読まれることがありうるという意識のもとで書かれたのだろうか、あるいは読まれることを想定して記されたのだろうか?
 発表することを前提にした日記ならそれは日記文学に通じやすいだろう。だが、発表する意図がなかったのに、なんらかの事情で他者の目に触れることになった日記も、一旦読者を得てしまえば、文学作品としてひとり歩きすることがある。
 たとえば、蜻蛉日記、紫式部日記、御堂関白記等の古い時代のものから、森鴎外の独逸日記等明治以降のものなどまで、今日なお出版されて広く読まれているものを見ると、様々な分野の日記の中には日記文学と言ってもよい味わいを持つものがたしかにあると感じられる。

 インターネットの発達した現代においては、ブログやウェブサイトといった形式の日記も登場しており、日記の発表形式の多様化が見られるが、人間には日々の連続として暮らしを捉え感慨を綴りたいという本能的欲求があるのかもしれない。
 
 詩集「思い出せない日の翌日」は、そうした人間の日記や暦に係わるちょっとした思いや感情を、詩作品として再構成したものとなっている。それはおそらく日記そのものを公開することに照れくささを感じる自分の性格が、日記をより暗示的な表現形式へと変換させたかったからではないかと思う。

 ともあれ、過去、現在、未来といった時間や時間意識というものは、古今東西、人間にとって極めて身近なものであってきたし、共感の基軸のような位置づけを担ってきたと思う。そのような意味において、この詩集が、ひとびとの日々の暮らしにおける喜怒哀楽の共有のためのよすがとなれば、これに過ぎる喜びはない。

 最後に、水仁舎の北見俊一氏の類まれな造本のセンスと技術のおかげでこの詩集が晴れて読者の目に触れることが出来るようになったことを記しておきたい。

    平成二十七年二月七日                           
                              南原充士




by nambara14 | 2015-04-01 13:17 | 詩集「思い出せない日の翌日」 | Comments(0)