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最近の詩集評(8)

八覚正大詩集『重力の踵』。退職による無常観に苦しむ自分に向かい合って今後はいかに生きるべきかを熟考して見出した方向性を、ⅠⅡⅢの三部構成の詩篇で表している。特にⅢ部は、自分史を率直に語り、行動と言葉と他者との関係を組み立て直そうとする思いが述べられていて、深い感動と共感を覚える。

倉田良成詩集『こどものじかん』。小学生の頃の授業の様子など子供時代の思い出が活き活きと語られるように見えるが、それはいつの間にか大人になった自分へとつながっている。同時に、今の子供たちへのメーセージにもなっている。昭和時代を慈しむように振り返った著者自身の切なさに満ちた昭和詩集。

望月遊馬詩集『水辺に透きとおっていく』。ファッション誌から抜け出してきたような少女や少年のしぐさや思いが限りなく洗練された言葉で綴られる。水辺は性や生死の象徴としてくりかえし現れる。超絶技巧の修辞に舌を巻く。「詩はいつも故郷として野辺へうちあがり親類の匂いをさせている。」(「距離感の愛へ」から)。

武西良和詩集『遠い山の呼び声』。故郷紀ノ川に戻って畑仕事をしながら、ふるさとや身近にいた人々のことへの思いを丹念に綴った詩集。平易な言葉遣いが、著者の故郷に向き合う真っ直ぐな気持ちを確実に伝える。「おおーい。」と山の畑から向かいの山に叫ぶ声を、読者もたしかに聞き取ることができる。

天童大人『長編詩ピコ・デ・ヨーロッパの雪』。スペインでの経験を中心として旅立つ前の日本でのこと、モスクワ経由でヨーロッパへ向かう道中のこと、コロンビア国際詩祭のことなどが、多くの人々との出会いの中に活き活きと描かれている。名立たる朗唱家の詩篇を文字で味わうのも、耳で聴くのとはまた別の面白さがある。

新延拳詩集『わが流刑地に』。さまざまな経験や知識や教養を踏まえて、過去を振り返り、現在の自分を観察することで、言いようのない人生の寂しさや悲しさが見えてくる(「気がつくと自分自身が流刑地となってしまっていた」)のだが、それらを受け入れて人生への挽歌を歌うことで、むしろ生きる意味を再確認しているように見える。文学、聖書、音楽、美術など幅広い教養と巧まざるユーモアと人懐こい言葉使いが深刻な中身に軽みを与えているのが魅力的だ。

大石聡美第二詩集『Rainingー二人が忘れ去られてゆくねー』。「父の初盆の悲しみをすこしでもまぎらわそう」と手作りで出した詩集。二十代の頃の著者の経験、特に恋や恋心が殆んど脚色されることなく述べられる。雨がキーワードであることを自覚する若い女性のパッションが強烈に伝わってくる。

詩の絵本『ひらめきと、ときめきと。』(詩*秋亜綺羅、絵*柏木美奈子)。「うそ」というキーワードがむしろ真実を浮かび上がらせる。なんという心温まる絵本だろう!伸びやかな詩人の感受性と画家の心優しさがマッチして、人間の心の根底にある「ひらめきとときめき」にあらためて気づかせてくれる。

福原恒雄詩集『友に点の文字』。詩集全体に「点字」が明示的にあるいは暗示的に用いられ、戦時中子供だった著者の思い出が独特の視点から活き活きと描かれる。著者は、点字を打った経験もあるようだし、指で点字を読み取ることもできたようだ。ユーモアが、息詰まるような作品世界に救いを与えている。

金井雄二詩集『朝起きてぼくは』。「詩が一番にあるのではない。生活があるのだ。」という認識が示されるが、生活に喘ぐ中から詩が生まれるという自覚もある。日常生活のなにげない情景や思いがさりげなく描かれる陰には、おそらくどうしようもなく辛くて悲しくてやりきれない経験が隠されているのだ。

神品芳夫『リルケ 現代の吟遊詩人』。リルケの生涯と詩業との関係を丹念にたどることでその人物像と詩作品の全体像を明確に描いた労作。日本におけるリルケの受容の歴史も紹介され、いくつかの詩篇についての著者独自のアプローチや国際化の進む世界に生きる詩人の先駆者としての位置づけも興味深い。

花潜幸詩集『初めの頃であれば』。おそらく悲惨な戦争体験を聞かされて育ったのだろう。それらの辛い過去が著者の時間感覚を微妙に変え、様々な記憶を静かな語り口の物語として表現させるに至ったのだろう。たとえば、「…あの母の姿をまたそっと探してしまうのも、裸になった感情が、手足に孤独をつなぎ合わせて、時々ふとあらわれる卵のように未熟な奇跡を、密かに割ろうとするからなのでしょう」(「時のありよう」から)。

吉田隶平詩集『露草の青のような』。70歳という年齢は、自分の来し方を静かに振り返らせたり、行く末に不安を感じさせたりするもののようだ。なにげないことに生を見出すと同時に死というものを意識すると、自分に言い聞かせるようなつぶやきが漏れる。「一大事なのに/死ぬことに覚悟はいらない」。

小川三郎詩集『フィラメント』。日常に潜む裂け目や虚無感を一見平易な言葉で描いてみせるが、よく読むと、矛盾や反語や飛躍といった高度な表現技巧が駆使されており、言いようのない悲しみや絶望が見事にあぶり出されている。同時に、そこに沈潜することで一種のカタルシスがもたらされる、いわば現代の神話とも言うべき構造を持った新しいポエジーが稀有な魅力となっている。

石原明詩集『風の断片』。「『戦後』という今にして思えば不思議な空間とそこでのキリスト教との出会いを中心にまとめた」詩集。たしかな観察眼と大人たちから聞かされた戦争の話と少年時代の幼稚園での経験がないまぜになって、著者の「生きることへの深い問いかけ」が痛切に浮かび上がってくる。

『現代詩手帖12月号』「2015年 代表詩選」を読んだ。さまざまな物の見方や表現法があることに興味をそそられた。その中で、特に印象に残ったのは、鈴木志郎康さん、北川透さん、近藤洋太さんの詩篇だった。

「大転機に、ササッサー、っと飛躍する麻理は素敵で可愛い。」(鈴木志郎康)は、個人的なことを題材にしているが、詩作品として成り立たせる高度な技巧が凝らされている。難病に襲われた妻と脚の不自由な自分との生活は不安に満ちているはずだが、深刻ぶらずにユーモラスに描いてみせる胆力に脱帽だ。

「なぜ詩を書き続けるのか、と問われて」(北川透)は、神経がぴりぴりする現代社会で多くのひとびとが不機嫌になり、批判的になり、ともすれば攻撃的な言辞を弄しがちになる中で、善悪や好悪や快不快を吹き飛ばすような豪胆さが痛快至極だ。現実に流されずそれをしっかりと見据えているのはさすがだ。

「南羅鼓巷幻聴」(近藤洋太)。北京のアメ横みたいな小路を歩くと、まわりは中国人ばかりだ。彼らの話す中国語は、日本人である自分の耳には、日本語の断片が混じっているように聞こえる。その聞こえ方を、平仮名で記してみせた所が、実にリアルで面白くて説得力がある。アイデア賞といったところか。

丁海玉『法廷通訳人』。法廷通訳人として日本語と韓国語のはざまで苦労する著者の心情がひしひしと伝わってくる。法廷での審理の詳細な描写は短編小説のような迫力がある。詩人としての力量がこのような文章にもはっきりと読み取れる。良識を持った人間は日本にも韓国にもいるのだと感じさせてくれる。

八重洋一郎『太陽帆走』(詩人の遠征6)。物理、化学、哲学、思想、文学などへの幅広い知的好奇心が、「太陽帆船」の宇宙飛行という斬新な表現に如実に表れていて読者を引き込む。575,57577という音律について、小野十三郎を取り上げつつ述べた箇所は、詩歌についての鋭い論評となっている。

山口敦子詩集『文人達への哀歌』。21人の文人達へ宛てた、俳句2句と詩1篇。深い愛着や敬意をもって作品や生涯を辿る独自のスタイルが興味を引く。特に、種田山頭火へ宛てた「燃えつきるまで」は、感極まる。「きっとあなたは 薄紫の蝶となって/私の手となり 足となって導いてくれるでしょう」。
Commented by つねさん at 2015-01-06 13:06 x
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by nambara14 | 2015-01-04 15:25 | 詩集・詩誌評等 | Comments(1)